題名の【黒い雨】とは、
原爆投下後に降る原子爆弾炸裂時の泥やほこりを含んだ重油のような雨で、
万年筆ぐらいの太さの棒のような雨になってしまう。

【黒い雨】は、広島原爆投下の被害者の実際の日記をもとにした被爆体験記のような小説である。
この小説の夫婦(重松・シゲ子)の主人公の姪(矢須子)が、
残留放射能、【黒い雨】に打たれてしまったことで、周囲からは原爆患者と疑われ、縁談がことごとく断れてしまう。

確かに、原爆が落ちた時、重松とシゲ子と矢須子は広島におり、重松は原爆病と診断されていた。
矢須子は「被爆者定期健康診断」では「異常なし」と記されている。
終戦から4年10か月目の時、矢須子に喜ばしい縁談が持ち上がっていた。
重松は、仲人へ矢須子の健康診断証明書を郵送した。
仲人は矢須子が原爆投の日から小畠村から帰るまでの広島における足取りを知りたいと手紙で伝えてきた。
矢須子とシゲ子は納戸に入って泣いた。
矢須子は、1945年の日記を、たんすの引き出しから取り出し、重松に無言で手渡した。
重松は、先方へ送るため、8月5日からの矢須子の日記を写し始めたが、シゲ子に【黒い雨】を浴びた個所は省略した方がよいのではとシゲ子に相談され、重松は自分の「被爆日記」を書き写して、縁談の世話人に送るといいはじめた。
重松の「被爆日記」は8月6日に重松が横川駅で被爆してから、玉音放送があった15日までのようすが記されている。
避難場所と打ち合わせた所でシゲ子に会った。
そして、自宅にもどった時、矢須子と会えた。
重松は、坂道の脇にある好太郎の家に届け物に向かった。
好太郎の家には縁談先の人が、矢須子の「原爆病」のことを聞き合わせにきていた。
重松は矢須子が哀れで可哀そうでならないと思い、重松は「意地」でも「被爆日記」を書き続けようと思った。
後、3日分で書き写しが終わると思った矢先、矢須子の病気が急に悪くなった。「素人目にも殆んど絶望的!」になった。
重松は重症の被爆患者で「息を吹き返した。」
人の手記を取り寄せて読み、何をおいても矢須子に「必ず生きる。」という自信をもたせなくてはいけないのだ。」と思った。
【黒い雨】は読んでいて気が重く辛くなった。
原爆病は(被爆者)は自らなった訳ではない。
悪いのは、戦争だと思う。そして、国も悪いと思う。
第二次世界大戦から数年後の広島と長崎に落とされた原子爆弾!
アインシュタインは《原爆を開発したことを後悔している。》は有名な言葉だ。
被爆者の行き場のない怒りそして苦しみ、どうにもならない激しい痛みなどを、抱えながら生きていかなければならない。
本当に、戦争は何の意味があるのだろうか・・・・・・
原爆は、やってはいけないことをやってしまった人間の最も愚かな最も大きな過ち、そして最大の罪だと思う。
コメント