【黄金風景】の冒頭に置かれた題辞
海の岸辺に緑なす樫の木、
その樫の木に黄金の細き鎖の
むすばれて
-プウシキン-
アレクサンドル・プ-シキン(1799年~1837年)の物語
『ルスラ-ンとリュドミ-ラ』から採られている。
太宰治の他の作品にもプ-シキンからの引用があり、
太宰治はこのロシアの文豪に強く惹かれていたと思われる。

【黄金風景】は、太宰治文学の《中期》にいちする作品で、
昭和14年(1939年)の「国民新聞」短編コンク-ルの当選作である。
中期の作品群は、日中戦争から第二次世界大戦勃発に至る時期に書かれたもので、
激動動乱の時代であったにもかかわらず、創作への意欲が最も充実した形で
伸びやかに現れていると言われている。
【黄金風景】は、
主人公と彼がかつていじめ足蹴にさえした、女中との再会を描き
二人の心のありようが見事に表現されている。
一昨年、私は家を追われ一夜のうちに窮迫し、巷をさまよい諸所に泣きつき、
その日その日の、いのち繋ぎやや文筆でもって、自活できるあてがつきはじめたと思ったとたん、病を得た。
人々の情けで一夏、千葉県船橋町、泥の海のすぐ近くに小さい家を借り、
自炊の保養をすることができ、毎夜毎晩、寝巻をしぼる程の寝汗とたたかい、
それでも仕事はしなければならず、毎朝々々のつめたい一合の牛乳だけが、
ただそれだけが、奇妙に生きているよろこびとして感じられ、
庭の隅のキョウチクトウの花が咲いたのを、
めらめら火が燃えているようにしか感じられなかったほど、
私の頭もほとほと痛み疲れていた。

~この文章だけで、《主人公・私》のすべてが、何もかもが読み取れ表現されている。
絶望感、それでも生きていくたたかい。
毎夜毎晩、寝巻をしぼるほどの寝汗とのたたかい。
絶望的な苦しみとのたたかい。
毎朝、飲む一合のつめたい牛乳だけが《主人公・私》の生きている喜びの証だと感じた。
《主人公・私》の気持ちは切実に伝わってくる。~
そのころのこと、戸籍調べで40に近い痩せて小柄のお巡りが玄関で、戸籍調べで訪ねて来た。
お巡は、私の名前を見て、昔、《主人公・私》は、のろくさい女中≪お慶≫を
虐めていた≪お慶≫の旦那だと分る。
《主人公・私》は女中の≪お慶≫を鈍感でのろまで何を考えているか分からない≪お慶≫の
性格が許せないので
随分といじめたが、まさか、こんな形で再会するとは夢にも思わなかった。
それから3日立って、玄関に親子3人、浴衣を着た父と母、赤い洋服を着た女の子と、
絵のように美しく並んで立っていた。
散々、鈍感で無知で馬鹿にしていた≪お慶≫は品のいい中年の奥さんになっていた。
《主人公・私》は逃げるように、海浜へ飛び出した。
「ちえっちえっ」と、舌打ちしては、心のどこかの隅で〔負けた!負けた!]と
囁く声が聞こえてきて[これはならぬ。}と、
烈しくからだをゆすぶって《主人公・私》はふたたび家へと戻り
海岸に出て《主人公・私》は立ち止った。

見よ、前方に平和の図がある。
親子3人、のどかに海に石の投げっこをしては笑い興じている。

お巡りは、うんと力をこめて石をほうって、
「頭のよさそうな方じゃないか。あのひとは、いまに偉くなるぞ。」
「そうですとも、そうですとも。」≪お慶≫の誇らしげな高い声である。
「あのかたは、お小さいときからひとり変わって居られた。
目下のものにもそれは親切に、目をかけて下すった。」
《主人公・私》は立ったまま泣いていた。けわしい興奮が、涙で、
まるで気持ちよく溶け去ってしまうのだ。
〔負けた。〕〔これは、いいことだ。]そうでなければ、いけないのだ。
かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える。

~子供の頃、散々馬鹿にして虐めてきた女中の≪お慶≫が
《主人公・私》を誇りに思ってくれている。
〔負けた!〕は、《主人公・私》は≪お慶≫に言っていると思う。
意味もなく30分歩いて、時間をつぶして家にもどり海岸に出て、≪お慶≫の
親子を、見たら
先ほど感じた《主人公・私》の心の隅の囁きで〔負けた!負けた!〕
と全身で感じて
《主人公・私》の、今の状況が余りに惨めで、すさんだ状況であり、
〔これはならぬ。〕と思ったのだろう。
そして〔これはいいことだ。〕と《主人公・私》が今までの惨めな状況から抜け出し、
あすの出発に光が差し込み、気持ちと心が変化したことだと思う。
≪お慶≫親子が幸せになっていることが《主人公・私》が変わっていく瞬間だと思う。
≪お慶≫がこれからの人生を、«主人公・私»にみせてくれるのでは?ないか
と、思うような気がしてきた。
《主人公・私》は《お慶》の生き方が 《主人公・私》の生き方を変えてくれるのでは
ないかと思った。
《主人公・私》は海をみながら立ったまま泣いていた。強烈に私の心に響いた。~
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