【銀河鉄道の夜】宮沢賢治を、読んだ感想!

作品紹介

三十七年の短い生涯。

宮沢賢治の代表作といわれる【銀河鉄道の夜】

最初に活字になったのは

死の翌年の昭和九年(1943年)に出版された全集で、未整理の未定稿であった。

死ぬまでの間に三回の改編を、加え第四次稿まで書きすすめていた。

今回は、もっとも知られている第四次稿です。

永遠の旅路やロマンスとして語られることの多い作品だが、

本質は自己犠牲や希望といった、人の内面への問いかけにあるといえる。

~いつも、《あらすじ》は、詳しく書いておりますが、もっと読みたい方は、

短編ですので、半日あれば読めます。原作をお勧め致します。

《あらすじ》

主人公ジョバンニは、学校の授業で星座(天の川)のことを、教わりました。

この頃ジョパンニは、毎日教室でも眠く、本を読む暇もないのです。

当てられたが答えられなかった、ジョパンニは、

自分を気遣って回答が出来なっかた親友のカムパネルラに申し訳なく思いました。

事業を終え、ジョパンニは活版所で活字ひろいの手伝いをして貰った銀貨で

パンと角砂糖を買うと裏町の家へと帰りました。

家では病気の母親が伏せっています。

今晩は銀河の祭り、ケンタウル祭りで夜の街はきれいに飾られていました。

ジョパンニは、祭りを見に行く道すがら牛乳屋へ急ぎました。

牛乳屋は、留守で留守番の老女は後できて欲しいと言います。

橋に向かう途中、カムパネルラも一諸で、

同級生の、いじめっこのザネリが「らっこの上着がくるよ。」

と、父の仕事のことをからかいました。

親友のカムパネルラは、気の毒そうにしていました。

父は漁へでず、犯罪の仕事に手をつけているかもしれないと噂が流れていました。

ジョバンニは、何も言えず逃げるように牧場の丘に向かいました。

丘を、抜けると急に空が開け天の川のしらじらとした流れに、ジョバンニは

ほてった身体を草原になげだしました。

すると、ジョバンニは、遠い汽車の音を聞きました。

どこかで、「銀河ステ-ション」と声がしたと思うとジョバンニは、銀河鉄道列車の乗客になっていました。

すぐ、前の席ではカムパネルラが

「みんなは、ずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね。」

ジョバンニは、「どこかで待っていようか?」

と言うと

「ザネリはもう帰ったよ、お父さんが迎えに来たんだ。」

そう言いながらカムパネルラは、なぜか少し顔色が青ざめてどこか苦しいというふうでした。

ジョバンニは、なんだか何かを忘れたものが、あるという気持ちで黙ってしまいました。

銀河鉄道は、三角標の美しく輝く天の野原を走っています。

カンパネラはいきなり

「おっかさんは、ぼくを許して下さるだろうか。」

唐突な言葉に面食らったジョパンニを、よそにカムパネルラは、なおも

「ぼく分からない。けれども、誰だって、本当にいいことをしたら、一番幸せなんだね。

だから、おっかさんは、ぼくを許して下さると思う。」

と何かを決心したように言うのです。

ジョパンニとカムバネルラは悲しみにも似た、今までに味わったことのなかった

気持ちを感じていました。

やがて、赤く光るさそりの火を過ぎたころ、列車はサウザンクロスに近づいてきました。

ああその時でした。

見えない天の川ずうっと、川下に青や橙や、もうあらゆる光でちりばめた十字架がまるで

一本の木という風に川の中から立って輝きその上には

青じろい雲がまるい環になって、後光のようにかかっているのでした。

「カンパネルラ、僕たち一諸に行こうねぇ。」

二人はどこまでも一諸に行こうと誓い合います。

ジョパンニが眼を開くと、そこはもとの丘の上でした。

ジョパンニは急いで母の待つ家に向かう途中、たくさんの人達がいるおおきな橋のそばに、

カムパネラと一諸だったマルソが、

「カムパネルラは、舟から落ちた友達を追って飛び込みそのまま見えなくなってしまった。」

というのです。

ジョバンニは、川いっぱいに映る大きな銀河を見ながら、カムパネルラは

もう銀河のはずれにしかいないような気がしました。

落胆しているカムパネルラの父親(博士)に、夢での出来事を告げようかとも思いましたが、

喉がつまって何も出てきません。

すると父親は丁重な見舞いのお礼を言い

「間もなくジョパンニの父親が帰ってくる。」と、教えてくれたのでした。

ジョパンニは、色々なことで胸がいっぱいで、なんにもいえずに博士の前を離れて

早くお母さんに牛乳を持っていってお父さんの帰ることを知らせようと思うと、

もう、一目散に河原を町の方に走りました。

《私の感想》

~ジョパンニは銀河鉄道の夢に出てきたカンパネルラは、

死んだその時、天国に向かう途中、

親友のジョパンニと夢の中で一諸だったのでは、ないかと思いました。

はじめて読んだ時は、ファンタジ-でワクワク感もありましたが、

なんかモヤ-としてスッキリしませんでした。

また、改めて読んでみますと〈生きる〉〈幸せ〉についてを、問いたかったんではないかと、思いました。

宮沢賢治の生き方は、自分を犠牲にしても誰か(人〉のために役立つことをする。

それは、宮沢家が、仏教の信仰が厚く、賢治も父の影響からだと思います。

法華経の思想は、その後の賢治の作品に、少なからず影響を与えていると思いました。

私は、宮沢賢治を尊敬します。~

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