
【雪女の話】は、ラフカディオ・ハ-ンが小泉八雲として日本に帰化して
八年後の明治37年(1904年)、アメリカで刊行した怪異物語集『怪談』のうちの一編です。
松江で日本の伝統文化に出会った八雲は、妻の節子が語る怪談を大変好みました。
日本の怪談の収集を続けました。
八雲は、それをモチ-フに怪異物語を製作し『怪談』をまとめました。
【雪女の話】も各地に伝わる伝説にヒントを得ています。

雪女とは、日本各地でそれぞれ
「ユキムスメ」「ユキオナゴ」
「雪女郎」「ユキアネサ」「雪オンバ」「雪ンバ」「雪降り婆」
などで知られる空想上の妖怪です。
《あらすじ》
武蔵の国のある村に、茂作と巳之吉という二人の木こりが住んでいました。
ある、たいそう寒い晩のこと、茂作と巳之吉は大吹雪におそわれました。
二人の木こりは、船頭の小屋に避難しました。
戸口があるだけの、二畳の狭い小屋で蓑をかぶって横になりました。
夜中に巳之吉は、顔に激しく降りかかる雪に目をさましました。

小屋の戸が開けられ、全身白ずくめの女が茂作の上にかがんで、息を吹きかけていました。
その息はキラキラ光る白い煙のようでした。
すぐに女は、巳之吉の方へ振り向いて、
顔が触れるくらいまで、ひくくひくく、巳之吉の上にかがり込みました。
女は、しばらく巳之吉を見つめて、それから笑みを浮かべ、
こうささやきました。
「お前は若いし、可愛いものね。
でもね、もしお前が今夜見たことを誰かに言ってごらん、
私には分かるのだよ。その時に、私はお前を殺すだろう」

翌年の冬のある晩、巳之吉が家に帰る途中のこと、
たまたま同じ道を行く一人の娘に追いつきました。
すらりと背が高く顔立ちの美しい娘でした。
巳之吉のあいさつに、まるで鳥が歌うように応え、娘と並んで歩き言葉を交わしました。
娘の名は「お雪」と言い、先頃両親を亡くしたばかりで
これから江戸へ行くとのことでした。
巳之吉は、たちまちこの見知らぬ娘に魅せられてしまいました。
二人は長い間、言葉を交わさずに歩きました。
けれど、ことわざにも言うではないか、「気があれば目も口ほどに物を言う」と。

村に着く頃までには、二人はお互いをとても気に入っていました。
巳之吉は、しばらく自分の家で休んでいって欲しいと、
お雪は、はにかんでためらっていましたが、巳之吉について行きました。
巳之吉の母親もすぐに気に入って、お雪のために温かい食事を用意しました。
そして、自然のなりゆきとして
お雪は江戸へはついに行くことなく、巳之吉の嫁になりました。
お雪は、よくできた嫁でした。
五年ほど後に巳之吉の母親は亡くなりましたが、
その最期の言葉はお雪への愛情とお雪を褒めたたえた言葉でした。

お雪は、巳之吉との間に男女十人の子供を産み、
皆、色がとても白い、美しい子供たちでした。
ある夜、子供たちが寝ついた後で、お雪は行燈の光で針仕事をしていました。
そして、巳之吉はお雪をみつめながら、
自分が十八の少年の時に出会った不思議なことを話しだしました。
船頭の小屋で過ごした恐ろしい夜のことを。
自分の上にかがんで、ほほ笑みをささやいた白い女のこと。
それから、茂作老人が物も言わずに死んだこと。

すると、お雪は縫物を投げ捨て立ち上がり、
座っている巳之吉の上からかがみ込むようにして、
巳之吉の顔に向かって甲高く叫びました。
「もし、一言でも話したらあなたを殺すって。
あそこに眠っている子供たちがいなければ、今すぐ
あなたを殺したでしょう!
もはやこうなった以上、あなたは子供たちを悲しませるようなことがあったら、
私はその報いをあなたに与えます!」
その叫び声は、風がむせび泣くように細くなっていきました。
それから女は、輝く白い霧となって
屋根の梁(はり)の方へ渦巻いて登り、
煙出しを抜けて震えながら、去って行きました。
それきり、その姿は二度と見られませんでした。
《私の感想》
小泉八雲の【雪女の話】は、
武蔵の国の、西多摩群調布村の百姓が語ったお話とのことです。
実際にこの地域には、似たような民話が伝説として伝わっております。
青梅市上長渕の(調布橋)の傍には、【雪女縁の地】の碑が立てられています。

雪女は(妖怪)、巳之吉に好意を持ったと思います。
でも、『掟があり』雪女(妖怪)は、
≪人間を愛することは御法度≫
掟を破り、巳之吉も約束を破ってしまいました。
結局、雪女は妖怪には戻ることは出来ないと思います。
子供を、思うがゆえに一族の(掟)を破る、
雪女の母の気持ちが伝わってきます。
【雪女】は、
巳之吉に惚れた、命がけの悲しい恋物語りです。

小泉八雲
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