
久しぶりに
五木寛之【親鸞】の本を読んでみようと思いました。
はじめて読んだのは、10年以上前になります。
宗教が、テ-マの本は読みにくいと言う
先入観がありましたが
娯楽性がとても強く
グイグイと引き込まれてしまい
(アッ)という間に読めてしまいます。

【親鸞】は1173年末法の世に生まれます。
末法の世というのは、仏教思想にある終末のことです。
【親鸞】の常に迷い続けた人生、迷いの中から常に念じる心というものが
大切なものだと思いました。
【親鸞】が生きた時代は、平安時代から鎌倉時代です
日野の里で貧乏公家の子として生まれます。
幼名を忠範(ただのり)
9歳で出家し、名前を範宴(はんねん)と改めます。
比叡山で20年過酷な修行に挑みます。
29歳で山を下りました。
法然門下に入り、名前を綽空(しゃくくう)としました。

門下ではすぐに頭角を現し、師に認められて善信(ぜんしん)と
改名しました。
しかし、35歳のとき、念仏弾圧で一門が断罪され、
自身も流罪を科されて【親鸞】を名乗りました。
19歳のとき出家して、比叡山へ入山し修行を始めました。
出家して10年後の1191年、19歳のときに大阪の磯長にあった
聖徳太子廟にて、3日参籠(さんろう)したと伝えられています。
参籠(さんろう)とは、寺に一定期間こもって祈願することです。

祈り続けて、2日目の真夜中に、聖徳太子から夢告がありました。
「そなたの命は、あと、10年になる。
命終わると同時に、清らかな世界に入るであろう。
よく信じなさい、深く信じなさい、
真の菩薩をと、19歳でおまえの寿命は、あと10年であると言われた」
のです。これは、大変なショックだったようです。

【親鸞】は、法然の教えを知って弟子入りします。
法然の教えが、浄土宗。
法然(浄土宗)は「南無阿弥陀仏」の念仏のみ唱えることで
極楽浄土できるとしていました。
【親鸞】は、念仏から信心を取り出して、
信じる心によって極楽浄土できると言いました。
旧来の仏教者たちは反発します。
法然・【親鸞】は処罰を受け
【親鸞】は越後(新潟)に、流されます。
処罰をうけても【親鸞】の信じるところは変わらず、
その後も修行や布教は続行しました。
その中で《教行信証》を書きました。
1263年1月16日、90歳に入滅(死去)しました。
【親鸞】は生前に
「私が死んだらならば、この体は
鴨川(京都の川)に流して、魚の餌にせよ」
と遺言していました。
遺族や門弟たちは実際にそうすることができず、墓を建立したのです。
《私の感想》
真実の信仰とは。
煩悩とは。
生きる目的とは。
突き詰めて、深く考えると答えはでませんでした。
宗教の話は難しく分かりにくいものです。

五木寛之
プロフィ-ル
1932(昭和7)年、福岡県生まれ。
1947年に北朝鮮より引き揚げ。
早稲田大学文学部ロシア文学科に学ぶ。
1966年「さらばモスクワ愚連隊」で小説現代新人賞、
1967年「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞、
1976年「青春の門」で吉川英治文学賞を受賞。
著書「朱鷺の墓」「戒厳令の夜」「風の王国」
「風に吹かれて」「親鸞」「大河の一滴」「他力」
「孤独のすすめ」「マサカの時代」など多数。
バック「かもめのジョナサン」など訳書もある。
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