
~島崎藤村にならぶ代表的な自然主義作家です。~
~紀行文も評価が高く、『山水小記』などの優れた多くの作品を残しています。~
~【蒲団】は文芸雑誌(新小説)(9月号)1907年(明治40年)に連載され、
翌年《花袋集》1908年(明治41年)本の中に収録されました。~
~露骨な性を、赤裸々にありのままに書いたことで、大ヒットし大きな反響をまき起こしました。~
~私は、若い頃【蒲団】を読んだ時は、主人公(時雄)、中年男の心理は
何となく、じとじとしていて読んでいても、複雑な思いになりつまらなかった気がします。~
~でも、年を重ねて今読みますと、気持ちがとても理解できます。~
【~蒲団】は、日本最初の(私小説)なので田山花袋が主人公(時雄)になります。~
~この小説は、田山花袋が主人公(時雄)の回想録になります。~
~私小説は、フランスから輸入された自然主義文学から生まれました。~
~その自然主義を、「作者が犯した罪をせきららに告白し、懺悔(ざんげ)するもの」
という風に狭めてしまったのが【蒲団】です。~

《あらすじ》
主人公、竹中時雄は三十六歳子供も三人おります。
文学者であり、出版社で地理書の編集手伝いをする竹中時雄は、
家族と平凡な日々を送っていました。
新婚時の快楽的気持ちはとうに覚め、できるなら道を歩いている美しい女性と
新しい恋をしたいという欲求さえ生まれていたのでした。
そんな頃、岡山、新見町出身で、神戸の学校に通う横山芳子という十九歳の
女学生から崇拝の気持ちをしたためた一通の手紙を受け取ったのです。
どんなことがあっても先生の門下生になって、一生文学に従事したいとの切なる
願いが芳子にはありました。
放っておけば今にも熱も冷めると思っていた時雄ですがさらに二通の熱心な手紙が
芳子から届きます。
放っておけなくなった時は「女性は文学に携わるべきでない」という趣旨の返事を
書いて芳子に送りました。
これならもう愛想をつかして諦めてしまうだろうと思った矢先、四通目の厚い
封書が届きます。
時雄は芳子の志に感じるものがあり、返事を出し師弟の関係を結んだのでした。
その翌年の二月になって、芳子は親の許しを得て上京して来ました。

芳子は女学生としては身なりが派手過ぎるほど、ハイカラで魅力的な女性でした。
最初のひと月ほど芳子を、自宅に下宿させた時雄は、芳子の艶やかな姿を見るにつけ
新婚当初に戻ったような、家に帰るのが楽しい気持ちになったのです。
さすがに一諸に住みだすと、妻や親戚筋などが問題視する向きがあり
世間体を考えて妻の姉の家に、芳子を下宿させ、そこから女学校に通学させることにしたのです。
このような生活の中、芳子は四月に一度帰省しますが、九月に再び上京します。
そして、今回の事件が起きたのです。

その事件とは芳子に恋人ができたこと。
恋人は同志社の学生で神戸教会の秀才、田中秀夫という二十一歳の若者です。
芳子は上京の道すがら、彼と京都嵯峨でひそかに落ち合っていたのです。
上京までの日数があわないことから、それは発覚しました。
きっく叱ったのですが、二人の間を取り持つ役回りを余儀なくされたのでした。
時雄は愛するものを奪われたと感じ、心が暗くなりました。
寂しさに耐え切れず、酒に溺れていきました。

そんな折、芳子から恋人の田中が上京したことを伝える手紙が届きます。
手紙には、時雄に告げずに田中に会ったことを詫びたうえで、
「私共は情熱もあるが理性も御座います。常識を外れた、他人から誤解される
ようなことは致しません」と書かれてありました。
手紙を読んだ時雄の胸に、激しい嫉妬が渦巻きました。
芳子の一部始終が気になって仕方がない時雄は、
芳子を再び自宅へ下宿させ、自らの監督下に置いたのでした。
一ヶ月を過ぎた頃、時雄は芳子宛の葉書を何気なく読むと、
一ヶ月ほどの生活費は準備してあるが、その後東京での生活をするための職業が
みつかるかどうか分からないとあり、差出人は京都、田中としてありました。
一方、芳子は田中が上京することに当惑しています。
しかし、すぐに、今夜六時に新橋に着くという電報が田中から届き、時すでに遅しと知ったのです。
翌日、芳子は田中と会い、どうしても京都には帰らぬという彼の決意を聞いたのです。
時雄は、嫉妬に燃え、その夕暮れ、芳子の恋人の下宿を訪問しました。
「芳子は僕の弟子です。僕の責任として、芳子に廃学させるには忍びん。
君が東京にどうしてもいると言うなら、芳子を国に帰すか、この関係を
父母に打ち明けて許可を乞うか、二つの中一つを選ばんければならん。」
時雄は、田中にこう論しましたが要領を得ない会話を繰り返しただけ。
数多い青年の中から、このような男を恋人に選んだ芳子の気が知れない時雄でした。
話はついに要領を得ないまま、時雄は帰途につきました。
自分の胸の底にある芳子への思いを隠すため、二人の恩情なる保護者となろうと葛藤したのです。
ところが、いよいよ二人の行動は目に余るばかりになりました。

若い二人は実家からの勘当もかくごの上、
自分たちだけで生きていくという手紙を時雄に送ったのです。
時雄は芳子の両親に詳しく記し、話し合いの場を持つため、
芳子の父に意見を聞きたいと上京を促しました。
その後、時雄は田中の芳子に対する頑固なまでの愛情、
時雄は芳子に対する欲求、芳子のさまざまな妄想に襲われ悶々としてくるのでした。
翌日、時雄は芳子から手紙をうけとります。
そこには、やはり田中との関係があったことが綴られてありました。
時雄は怒り、すぐに国に帰るように芳子に結論をつきつけました。
ついに芳子と父親は岡山へ帰ることになりました。
こうして時雄の生活は三年前に戻ったのです。
時雄は芳子が使っていたそのままの二階に上りました。

懐かしさ、恋しさの余り、微かに残った芳子の面影を偲ぼうと思ったのである。
時雄は机の引き出しを明けてみた。
古い油の染みたリボンがその中に捨ててあった。時雄はそれを取って匂いを嗅いだ。
暫くして立ち上がって襖を明けてみた。その向こうに、芳子が常に用いていた蒲団―萌黄唐草の敷布団と綿の厚く入った
同じ模様の夜着とが重ねられてあった。
時雄はそれを引出した。
芳子の懐かしい油の匂いと汗の匂いとが、いいも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟のビロウドの際立って汚れているのに顔を押附けて、心ゆくばかりなつかしい芳子の匂いを嗅いだ。
性慾と悲哀と絶望とがたちまち時雄の胸を襲った。
時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷たい汚れたビロウドの襟に顔を埋めて泣いた。薄暗い一室、戸外には風が吹き暴れていた。
《私の感想》
~時雄は芳子が平凡な日々での生活の花であり、糧でもありました。
時雄の芳子に惹かれていく苦しみ、心の葛藤、痛いほど伝わってきます。
不倫を、したくっても出来なかった時雄、~
~また、芳子は自由奔放、美しく、身なりも派手でハイカラで魅力的。
余りに対照的すぎます。~

田山花袋
(1871~1930)
コメント