絵馬文化の奥深さを感じる【絵馬の絵馬】(茨木県)ふるさとの昔話を、読んだ感想!

絵馬からぬけでた【絵馬(えま)の馬】のお話は、絵馬の魂がやどったような不思議なお話です。

《 あらすじ 》

昔昔のことでした。
下館(しもだて)のある村では、一面、黄金色(こがねいろ)の穂が広がり、やがて収穫(しゅうかく)の季節を迎えようとしていました。
そんな、夏の初めのある朝のことでした。
野良仕事に出かけた村人たちは、麦畑を見て驚きました。

「うわぁ、こりゃあ、どうしたことだ」
「た、大変じゃあ」
あちこちの麦畑の麦が根元から折れ、立て直すことができないほど踏(ふ)み荒(あ)らされています。
たちまち村は大騒ぎになりました。
「これは人間の仕業(しわざ)とは思えない」
「イノシシか」
「いや、イノシシだったら、掘(ほ)り返すんじゃなかろうか」
「いったい誰の仕業だ」
「夜中に嵐でも来たのだろうか」
翌朝もまたその次の朝も、麦畑は同じように踏み荒らされていました。
頭を抱(かか)えた村人たちは、交代で夜中に見張りに立つことにしました。
ところが、どういうわけか見張りを始めたとたん、何事も起こらなくなりました。
平穏(へいおん)な日々が続き安心した村人たちは、いつの間にか見張るのをやめてしまいました。
やがて秋になり、村の田んぼが黄金色に輝き出しました。
「麦はだめだったが、米は豊作だ」
「これで、冬は越せるな」
「よかった。よかった」

ところがある朝、村人の一人は田んぼを見て腰を抜かしました。
「な、な、な、なんだこりゃ」
今度は田んぼが荒らされていたのでした。
しかも前よりもひどく、ある田んぼなどは一束の稲も獲れないほど、目もあてられないような荒らされ方でした。
「おらたちに、飢え死にしろというのか」
「許せん」
村人たちの落胆(らくたん)はひどかったが、それでも一生懸命、他(ほか)の田んぼを見て回りました。
すると、水がひいて乾(かわ)いた田んぼの土に、馬の蹄(ひづめ)のような跡(あと)が残っているのを見つけました。
「馬がやったのか」
「こんな悪さをするのは、いったいどこの家の馬だ」
村中の馬小屋を調べましたが、夜中に逃げ出した様子はどこにもありません。
「よそからきた馬か。それならもう逃げてしまって、捕(つか)まえられないだろう」
すると、村の一人が言いました。
「いや、待て、待て。まだ荒らされていない田んぼが残っておる。そこで見張っていれば、必ずまたやってくるに違いない」
村人たちは相談し、自分たちの家の馬が逃げ出さないようにしっかりとつなぎ、馬小屋はきちんと閉めて夜を待ちました。

案の定、真夜中になると、大きな馬が姿を現しました。
月あかりに浮かぶその姿は金色に輝くたてがみをなびかせ、実に立派でした。
「出たぞ。やはり馬だ。捕まえろ」人の気配を感じたのか、馬は身を翻(ひるがえ)して風のように駆け出しました。
「そら、そっちに行ったぞ、逃がすな」
村人たちは必死になって追いかけましたが、羽黒(はぐろ)神社の鳥居(とりい)の前で、馬はすっと消えてしまい、どこを探してもみつかりませんでした。

朝になって、羽黒神社の鳥居まで来た村人たちは、真新しい馬の蹄の跡を見つけました。
それは本殿(ほんでん)へと続いています。
(ゆうべの馬のものか・・・・・)
そう思いながら、村人たちが慎重(しんちょう)に蹄の跡を辿(たど)っていくと、本殿に掲(かか)げられた一つの絵馬に行きあたりました。
「これは」
「ゆうべの馬だ」
「脚(あし)を見ろ、泥(どろ)で汚(よご)れている」
絵馬の中の馬は、立派なたてがみをなびかせていましたが、足元に土のような汚れがついていました。

村人たちが羽黒神社の神主(かんぬし)にわけを話すと、神主は絵師に頼んで、絵馬の中の馬に手綱(たづな)を描き加えました。
そして、これからは決して抜け出して悪さをしないよう、神さまに祈願(きがん)しました。
それからというもの、その村の田んぼや畑が荒らされることはなくなったということです。

下館羽黒神社の鳥居

《 わたしの感想 》

畑を荒らすのが絵馬だったという展開は、現実離れをしていて幻想のような錯覚を起こしてしまいます。
物語りの終わり方も独特で絵に描いたものが現実に影響を与えるということは、目に見えない物が現実に不思議な力を働くような魂と霊が垣間見える気がします。

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