

【青い眼の人形】は
1927年(昭和2年)に新日家で宣教師でもあった
シドニ-・ギュ-リック博士が中心になり、日米親善のために、
アメリカ合衆国から日本の幼稚園や小学校に送られた人形のことです。
【青い眼の人形】と呼ばれるようになったのは、1921年(大正10年)に
作詞・野口雨情
作曲・本居長世
作曲の動揺
【青い眼の人形】
の歌が流行していたから、【青い眼の人形】と呼ばれるようになったそうです。
セルロイドの人形とは違います。

贈られた当時は「日米親善人形」として、大切にされた人形でしたが
太平洋戦争が勃発すると、敵国人形としてかなりの人形が処分されました。
この【青い眼の人形】は処分を免れた人形たちのことです。

【青い眼の人形】
青い眼をした
お人形は
アメリカ生まれの
セルロイド

日本の港へ
ついたとき
一杯涙を
うかべてた

「わたしは言葉がわからない
迷子になったら
なんとしょう」
やさしい日本の
嬢ちゃんよ
仲良く遊んで
やっとくれ
《私の感想》
太平洋戦争が、はじまりました。
【青い眼の人形】はアメリカの人形です。
戦争が激しくなり【青い眼の人形】は、敵国人形になってしまったのです。

同時に【青い眼の人形】は、憎しみの対象にもなってしまいました。
しかも、家庭で持っている西洋人形も姿をけしました。
戦争は、悲しみだけしか残らない、
淋しさ、虚しさ、遣り切れなさで、いたたまれない思いになります。


野口雨情」(1882~1945)
昭和20年宇都宮で永眠(63歳)
野口雨情(本名:英吉)は、
明治15年(1882年)5月24日
茨木健県(現在の北茨木市磯原町)に長男として生まれました。
家は、代々水戸藩の薪炭奉行を勤め、廻船問屋を営める、世にいう名門でした。
北原白秋 ・ 西条八十 ・ 野口雨情 ・ 三大童謡詩人
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