貧困と放浪の生活!【放浪記】林芙美子を、読んだ感想!

~【放浪記】は、波乱に満ちた人生を

送った作家・林芙美子の私小説です。

貧困にあえぎながらも、それでも、めげないで、強く生きる、林芙美子

日記のように書きとめた雑記帳をもとに構成した

林芙美子の若き日の自伝。~

《あらすじ・私の感じたこと》

故郷を持たず、幼い頃から放浪と、極貧の生活。

【放浪記】が書かれたのは、林芙美子が二十代前半から三十歳手前の時期。

大正末期から昭和初期にかけてです。

行商を、営む両親とともに、九州各地を転々とする幼少期でした。

尾道に一時定住、女学校卒業とともに東京へと飛び出した
林芙美子の生活が書かれています。

【放浪記】において、カフェ-で働く林芙美子のトレ-ドマ-クとなっている、
着物にエプロン姿は独特な和洋を表してます。

また、チェ-ホフを読みながら当時の作家志望者たちがいかに

西欧文学の影響がうかがえます。

様ような、文学青年たちと林芙美子は
交流をもつ一方でどこか違和感をもっていました。

【放浪記】から

私の詩がダダイズムの詩であってたまるものか。

私は私と云う人間から煙を噴いているのです。

「ダダイズム」で文学があるものか!

私は朝から何も食べてない。

童話や詩を三ツ四ツ売ってみた所で白い御飯が

一ヶ月のどへ通るわけでもなかった。

お腹がすくと一諸に頭がモウロウとして来て、

私は私の思想にもカビを生やしてしまうのだ。

ああ私の頭にはプロレタリアもブルジュアもない。

たった一握りの白い握り飯が食べたいのだ。

「飯を食わせて下さい。」

林芙美子は、とにかく明るいです。

お腹が満たされればとたんに元気がでます

林芙美子が信じるのは、頭ではなく、自らの体感です。

とくに、胃袋【放浪記】の林芙美子はいつも飢えている。

食べることができなければ、

何も始まらない。空腹であれば弱気になるし、毒を吐く。

書く。

ただそれだけ。

捨て身で書くのだ。

西洋の詩人きどりではいかものなり。

きどりはおあずけ。

食べたいときは,食べたいと書き、

惚れている時は、ほれましたと書く。

それでよいでは,ございませんか。

林芙美子はあくまで、頭ではなく、普通の人が暮らす感覚で

庶民の目線を保ったまま文学を、志しています。

私は、一種の感動を、覚えてしまいました。

文学は、庶民の目線で書いてこそ、文学だと私は思います。

林芙美子の原点は、後にこう書いてます。

「私は、私の不遇な頃の人の心と云うものを白々しく見せつけられている。

誰をも信じない。仕事だけが私の救いであった。落胆の味を知らない人には

私の放浪記は只のルンペン的小説とみなされるかも知れない。

私は長い作家生活の間にも、

人々のみえやいやらしさや嘘偽を見せ付けられて来た。」

「私は貧乏な生まれだった、

おかげで何時の場合もファイトだけは失わないつもりだ」

(【放浪記】 第三部あとがきより)

《私の感想》

~林芙美子は、明治36年12月31日、鹿児島県に生まれました。

出生届上のもので、実際の誕生日と出生は、ようような説があります。

私は、2015年仲間由紀恵の【放浪記】お芝居を、鑑賞しました。

誰もが、ご存じの(森光子)の林芙美子とは違い、

(仲間由紀恵)の林芙美子は、直向きで、初々しく

一生懸命に、演じる姿が、とても新鮮に記憶に残ってます。

私は、【放浪記】を読んで貧困でも、打ち勝つ明るさ、

そして、底知れぬパワ-、貧乏であっても

孤独であっても、耐えられる強さ、それをばねに、

小説にした、林芙美子に、憧れます。

本を読むことは、いかに自分を奮い立たせられることも

感じました。

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