
78歳の忍(おし)ハナは、六十代までは身の回りをかまいませんでした。

だが、ある日、実年齢より上に見られて目が覚めます。

「人は中身より外見を磨かねば」と。
仲のいい夫と経営してきた酒屋は息子夫婦に譲っていますが、夫が倒れたことから、思いがけない裏を知ることになります。
主要登場人物
〇忍ハナ(おし・はな)
本作の主人公。78歳。若々しい格好を好む元気なおばさん。
〇忍岩造(おし・いわぞう)
ハナの旦那。折り紙が趣味。
〇忍雪男(おし・ゆきお)
岩造とハナの息子。酒屋をついでいる。
〇忍由美(おし・ゆみ)
雪男の嫁。自称・絵描き。
〇忍雅彦(おし・まさひこ)
雪男と由美の長男
超のつく秀才で国立大学で宇宙工学を学んでいる。
筋肉質で背も高くイケメン。
〇忍いづみ(おし・いづみ)
太っていていじめられやすい。
(ブラザーコンプレックス)を、抱いている。
〇黒井由美(くろい・いちご)
岩造とハナの長女
人生相談のブログを書いている。
〇黒井和夫(くろい・かずお)
家電メーカーに勤め休暇をとっては山に登っている。
〇一人娘マリコ
黒井和夫と苺の一人娘マリコは、イギリス人と結婚してロンドンに住んでいる。
〇森薫(もり・かおる)
岩造の妾
〇森岩太郎(もり・いわたろう)
岩造と薫の息子(イケメン)
(内館牧子と三田佳子)
七十八歳のハナは岩造と東京の麻布で営んでいた酒店を息子雪男に譲り、近所で隠居生活をしています。

年を取ることは退化であり、人間六十代以上になったら実年齢に見られない努力をするべきだ、という信条を持つハナは若さを保っています。
岩造は「ハナと結婚してよかった」が口癖の穏やかな男です。
雪男の妻由美には不満はありますが、娘の苺や孫の雅彦やいづみにも囲まれて幸せな余生を過ごしているハナでした。
ある日、岩造が倒れたところから、思わぬ人生の変転が待ち受けていました。
《 あらすじ 》
忍ハナは、七十八歳なのにきちんとメイクをし深い栗色のウィッグをつけ、シルバ-グレ-のブラウスを着て、第三ボタンまで開け、ダークグレ-地にピンクの水玉スカ-フで首を隠し颯爽(さつそう)と街を歩くような女性でした。
十年ぶりに会う高校の同期会、7十の大台間近の同期会をやったのだが、出席者の容貌は、あの時とはさま変わりしすぎていました。

十年という歳月は、人をここまで汚なく、緩く、退化させてしまうのでしょうか。
私は違う。その証拠にたった今、それもシニア専門誌(月刊コスモス)カメラマンから写真を撮られたばかりなのです。
よく見れば、会場にには洗練された雰囲気の男女もいたしお洒落でとても七十八とは思えない男女もいました。
だが、そうでない男女の方がずっと多いです。
「ハナ、若ーい!」
雅江(まさえ)と明美(あけみ)がやって来て、腕をつかみました。
昔の底意地悪さがそのままの雅江が、
「十年前の同期会の時とは別人みたい。どうしたのよ、急に色気づいちゃって」
会ってすぐこういうことを言うのは、自分の方がバアサンくさいと気づかされたからです。
明美は高校時代、雅江の手下(てか)だったので八十歳間近になっても、雅江を反射的に手下根性が出てしまいます。
「悪目立ち」という言葉を意識して使っておいて、慌てて言い直してみせるところからも、私を面白く思っていないことがわかります。

その時、ビールやワイングラスを手にジイさんたちがやって来ました。
「イヤァ、ハナがいるところは、パッと花が咲いたみたいだよ」
雅江と明美が黙り、男たちはやっと空気を察して、さり気なく離れていきました。
ハナは、家に着くと岩造に、
「ただ今、もう同期会、二度と行かない」
ハナは吐き捨てるように言いました。
「ババくささが伝染(うつ)るよッ」
本当に、ジジババくささは伝染病です。
そういう人の中にいると、これでいいのだと思うからです。

夫婦で営んでいた酒屋を、息子夫婦に譲り水入らずで暮らしていました。
夫の岩造は「俺、人生で一番よかったのは、ハナと結婚したことだな。お前は病的なほど屈託がなくって、こっちがバカバカしくなる。ハナは、俺の自慢だよ。若々しく俺の自慢のハナだ」と、いつも言います。
ハナは、長男雪男の嫁由美には腹立つことが多いです。
由美は、やせて小柄で四十五歳だというのに洗いっ放しの顔に地黒に加えてシミとシワの満艦飾(まんかんしょく)

その上、結婚以来二十二年間ずっと日常はジャージ姿で夏は襟ぐりの伸びたTシャツにジャージの七分丈ズボン。冬はフリースのジャンパーにズボン。
それでも雪男がよければいいのだと思い、ハナは二十二年間自分に言い聞かせてきましたが、店も手伝わず、シロウトのくせに絵ばかり描く由美に出来る限り近づかないようにきました。それが平和だからです。
それでも、ハナがいつだったか由美の誕生日にごくごく淡いピンク色のセーターをプレゼントしたことがあります。
「由美ちゃんは肌の手入れを始めて、薄化粧をすれば絶体きれいだよ。よく似合うと思うよ、この色」精一杯優しく言うハナに、由美は
「そうですよね。でも、画家がどんな色の服を着ているかって、その画家のセンスを表すと思うんですよね」
「でも、せつかくですから頂きますね。ありがとうございました」
物をもらって、こんな言い方はどこにあるというのだろう。
だが、嫁と姑の間にはさまると苦しいのは雪男だから、それ以来ティッシュ一枚プレゼントはしていない。
ある日、由美の娘のいづみとハナと三人でスーパーに行くので並んで歩いていましたが、どうしてもハナだけが遅れてしまいます。
歩きながら話す余力はとてもなく、ひたすら歩くのが遅れてしまいます。

いづみが気づき、歩調をゆるめましたが由美は、
「四時からタイムサービスで、パンも安くなるからすぐ売りきれるの。急がないと」
由美はそう言って、ハナの歩きに目を止めました。
「何かお義母様、歩幅が狭くなりました?」
それを聞いて、一瞬、ハナは息が止まりました。
老いの兆候は、狭い歩幅でチョコチョコと歩き始めます。
「だけど、そう気にすることはありませんよ。
まだペンギンっぽい歩き方までは行ってませんから」言い返したかったが、息が上がっている上にショックが大きく、できませんでした。
これほど気合いを入れて、老いを遠ざけて生きているハナなのに、老いは音もなくやって来ます。
その夜、岩造とベランダでビールを飲みながら、由美とのことを話すと、あきられました。
「何かツマミ作ってくるよ、鯖(さば)缶あけたのあるから。ビールももう一本、冷えたとこね」
「じゃ、(折り紙)箸置き作っとくよ」
そう言って私を見た顏が、一瞬お婆さんのように見えました。
男は年をとるとどんどんお婆さんの顔になり、女はお爺さん顏になるらしいです。
私もお爺さん顏になり始めているのだろうか。
悲しすぎる。どんなに努力しても、ぜつたいに阻止するとハナは思いました。
冷えたビールと一諸に鯖のチーズオムレツをベランダに持って行くと、たいして飲んでもいないのに、岩造がうたた寝をしています。
「ツマミ作ったよ。何よ、ふたこぶラクダ、折りかけじゃないのよ」

ハナは肩に手を当て、揺すりました。
「アンタッ!」
と言いかけて、ベランダが異様な静けさにある気がしました。
その夜、搬送先の松原医大付属病院で、岩造の緊急手術に向けて数々の検査が行われました。
硬膜下血腫が考えられるという。
私と雪男を前に、医師が説明しました。
「この病気は転倒などして頭を強打した人が、一ヵ月とか二ヵ月とかたってから発病する場合もあるんです。転倒直後は何ともなくても、脳の内部には出血があるわけでその出血が一ヵ月なり二ヵ月なりをかけて血腫になるケースです。ご主人はここ一、二ヵ月くらいに転倒などで頭を強く打つたことはありませんか」
何も答えないハナに代わりに、雪男は医師に言っていました。
「二ヵ月ほど前、八月の暑い日、父はどこだかで転倒したと言って足をくじいて少し引きずって帰って来ました。すぐ病院に行こうと言ったのですが、『いや、この通り歩けるし、何の問題もないよ』って笑いとばされて」
「そうでしたか。多くの場合、自覚病状がないため、病院にいかない人が多いんです。無理もありませんが・・・・・」
「緊急手術は、事前検査を丁重にやっていられません。できる限りの検査をしましたが、リスクは大きいです。でも、チームで最善を尽くしますから」
そう言って、出て行きました。
その夜、岩造は息を引き取りました。

岩造が死んで、今日で五日になります。
私の頭は、昨日あたりからやっと正常に動き出しました。
五十五年も一諸に暮らした相手が、突然姿を消してしまいました。
突然姿を消すことは、消えていく本人の問題ではありません。
残された者の問題です。
残された者は、消えた相手を思い出しながら、この先の人生を生きていかなければなりません。
先に消える者は幸せだと思いました。
岩造が死んで、そろそろ一ヵ月になりますが、一週間もたたぬうちから私は一人暮らしが息苦しくなてきました。
一人になった私を心配し、苺といづみは、しょっちゅう訪ねてきます。
由美までが、一諸に様子を見に来ました。

「ママ、ホントに立派。喪中なら喪中なりに、黒やグレーを上手に着ているしさ。化粧もバッチリしているのに、テクで薄く見せているしさ」
三人は安堵したように帰って行きました。
全部ウソなのに。
私は「見た目が大切」が信条だから、心のうちをみせないだけなのに。
ハナは、少しずつ生きていることが面倒になってきました。
何を食べてもおいしくなく、何もやりたくないし、楽しくしくもないし、欲しいものもありません。
外出も、人に会うのも億劫(おつくう)になりました。
何日かたった日、香典返しのことで苺といづみがやって来ました。
いづみが陽気な声をあげ,バックからクリアファイルを取り出し
「これ、お香典のお返しをするリスト。お香典の額によって三段階にして全部『選べるギフト』にしたから」
ハナはずいぶん、いっぱいの会葬者のリストをみて驚き胸がふさがり夫は多くの人に慕われ、愛されていた人だったんだと思いました。
リストを、眺めていると、名前だけの人がいました。
「この森薫(もりかおる)って誰?会社名も住所もかいていないけれど」
「男。何で顏を覚えてるかって、それがもうメチャイケメン。三十代かなァ。ね、苺ちゃん」
「うん、芸能人か?ってくらいイケメンなんだよね。折り紙関係かな」
お返しできないのは致し方ないです。
苺といづみは、遺品の片づけをやり始めました。
パスケースの定期入れに一枚の写真が入っているのにいずみが気がつき古いもので変色していました。
「森薫」いづみが言いました。
写真の男はハンサムで切れ長でハッキリした目とよく通った鼻すじが聡明な雰囲気を作っています。
背も高そうです。
「これ、十年以上昔。若過ぎ」
苺は写真を裏返し「あっ、1998.4.25って日付がかいてある」

ハナは、体が固まりました。十九年年前のことに。
いづみはパスケースを隈(くま)なく探しながら
「何、これ診察券か。一銭にもなんない」
ハナは「国分寺整形外科クリニック」と書いてありますが聞いたこともありません。
発券日は今年八月八日になっていました。三ヵ月前のことです。
もしかして岩造は国分寺で転び、このクリニックに行ったのではないだろうか。
なぜ、国分寺なんだろう。
「ママ、もう森薫も国分寺も放っとこうよ。パパが死んじゃったんだから、追及できないもん。それは放っとけてことよ」
「うん。ママもそう思ってたとこ」
苺にはそう言い返したものの、気になって仕方がありません。ハナは、JR中央線の国分寺駅に降り立ちました。
なぜか、不安を感じ、外出が億劫だとは思いもしませんでした。
交番で「国分寺整形外科クリニック」の場所を聞き七階だての立派なビルでした。

五階で受付嬢に診察券を見せ、一時間ほど待ちました。
診察には、五十代半ばかという男性医師がいました。
「院長 太田幸彦」と名札をつけています。
ハナは、「夫は硬膜下血腫で急死でした。」
院長は、「・・・・・そうでしたか」
院長は思い出すように、ゆっくりと答えました。
「転倒して頭を強打されたと、その時点では、会話も、歩行も、幾つかの簡単なテストもまったく問題ありませんでした。ただ、明日にでも必ずCTを撮るようにと強く申し上げました。CTに異常がなくっても、何ヵ月後に、脳に出血や血腫が見られて会話や歩行ができなくなる場合があります。ただちに大きな病院に行くようにと強く申し上げております」
ハナは駅へとゆっくり歩きました。
どうも岩造には裏があったようですが、その裏が何なのかは見当もつきません。
次回(後編)を、宜しくお願いいたします。
《 わたしの感想 》
読んでいて面白く、皮肉めいた言葉をけつこう発していて色々と考えさせられます。
同年代の人たちがみんな揃って似たようなくたびれたリュックを背負い、安い登山帽をかぶり帰る姿を、虫の一群のように見えたなど辛辣に書いています。
また、ナチュナルが良いと言う人は不精(ぶしょう)と言うことなどハナは、見た目に気を使うと、中身にも活力が湧いてくるのがハナの心情です。
登場人物も個性豊かでリアルで現実的です。
ハナの自分磨きは抜群に優れていますが、後期高齢者にはハナの努力についていくのにはハードルが高いような気がします。
内館牧子さんの、小説は文章が読みやすく面白いです。
辛辣な言葉が多いですが、内館牧子さんの本質的な優しさを感じます。

内館牧子(うちだて・まきこ)
1948年秋田市生まれ、東京育ち。
武蔵野美術大学卒業後、13年のOL生活を経て、1988年脚本家として、デビュー。
東北大学相撲部総監督、元横綱審議委員。
2003年に大相撲研究のため東北大学大学院入学、2006年修了。
その後も研究を続けています。
2019年旭日双光章受章。
コメント