立原道造「萱草に寄す」(わすれぐさによす)より【のちのおもひに】

   

【のちのおもひに】

夢はいつもかへつて行つた 山の麓(ふもと)のさびしい村に

水引草に風が立ち

草ひばりのうたひやまない

しずまりかへつた午(ひる)さがりの林道を

うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた

―そして私は

見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を

だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた・・・・・

夢は そのさきには もうゆかない

なにもかも 忘れ果てようとおもひ

忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう

そして それは戸をあけて 寂寥(せきりょう)のなかに

星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう

私の感想》

~立原道造は、二十四歳八か月の生涯でした。~

~【のちのおもひに】は、病床で、死と向き合っていたのではないでしょうか。~

~故郷を、夢に見る思いが寂しく、切なく書かれています。~

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう

~自分が逃れた故郷を、一人思い出し

 立原道造は、死後の世界を見つめているのではないでしょうか。~

~繊細で序情が豊かでありながら、喀血で病状が急変し永眠。~

~若き、立原道造は死の世界を見つめる強さ、~

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう

~このフレ-ズは、心にずしりと重く伸しかかってきました。~

 

              

立原道造(1914-1939)

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