立原道造「後期草稿詩篇」より 南国の空青けれど

立原道造は、二十四歳八か月の生涯。

胸を病み、死を予感していたかのように

東北旅行をした後、

近畿、日本海側を経由して長崎に向かうが、

長崎で喀血(かっけつ)帰京し、東京市立療養所に入所。

昭和十四年、

第一回中原中也賞が決定するも、病状が急変し永眠。

南国の空青けれど

南国の空青けれど

涙あふれて やまず

道なかばにして 道を失ひしとき

ふるさと とほく あらはれぬ

辿(たど)り行きしは 雲よりも

はかなくて すべては夢にまぎれぬ

老いたる母の微笑(びしょう)のみ

わがすべての過失を償う(つぐ)ひぬ

花なれと ねがひしや

鳥なれと ねがひしや

ひとりのみ なにをなすべきか

わが渇(かわ)き 海飲み干しぬ

かなたには 帆前舟(ほまえせん) たそがれて

星ひとつ 空にかかる

《私の感想》

長崎で書いた(南国の空青けれど)立原道造は、

死を、予感していたかのように私の心に迫ってくる。

立原道造はこれから、

先のない人生への絶望、苦しみ、悲しみ

すべてを(南国の空青けれど)に、したためたように思う。

(南国の空青けれど)読めば読むほど、切なくなってくる。

    

立原道造

(1914-1939)

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