
作者ユーゴの信念!「この世に、愛しあう以上に尊いことはないのです。」
《あらすじ》⑪ 最終話
祖父ジルノルマンの家に運びこまれたマリウスは、一時は生死の境をさ迷いましたが、手あつい看護の甲斐合って、要約一命を取留めました。
ジルノルマン老人は、かつてあれ程、腹を立てたことも忘れマリウスが助かった時にはすっかり有頂天になり、はたから見ていても滑稽なほどの喜びようでした。
マリウスが、病の床に就いている間、立派な身なりの白髪の紳士が毎日訪ねてきては病人の容態を聞きました。三ヶ月程経った頃、遂に医者がもう心配ないと言いました。高い熱に苦しんでいたマリウスは、ぼんやりと血に染まって死んでいった仲間たちのことやエポニ-ヌの哀れな死のことなど、おぼろげに意識の中に浮かんだり消えたりしていました。

ただ、戦闘の最中に、突然現れたあフォ-シュルヴァン氏のことだけは今だに、全く解けない謎のままでした。家の者たちから聞いて分かっているのは、真夜中に馬車でここへ運ばれたということだけでした。彼を運んだという馬車屋を捜して貰い、分かったのはセーヌ河岸の下水道に担ぎだされ祖父の家に運ばれたということでした。
次第に体力もついたマリウスはベッドに上半身を起こし、枕辺にずっとついてくれる祖父に必死の思いで結婚の話をしました。「あの娘との結婚なら、わしも大賛成だ。あの娘は、毎日老紳士をかわりにここへ寄越して、お前の容態を尋ねている。あれは立派な、気立てのいい娘だ。」マリウスは感動のあまり声はでませんでした。老人の目には涙が光っていました。
それから二、三日してコゼットが老紳士に連れられて見舞いにやって来ました。コゼットとマリウスはまるで夢のような思いで、顏と顏を見つめ合い二人の頬には嬉し涙が流れました。

ジルノルマン老人は、フォ-シュルヴァン氏(ジヤン・バルジャン)に親し気に歩み寄って言いました。「フォ-シュルヴァンさん、孫のマリウス・ポンメルシ-にかわって、ご令嬢のに結婚の申し込みをいたしたいのですが。」「ありがとうございます。娘は喜んでさしあげます。」と答えて、フォ-シュルヴァン氏は丁重に頭をさげました。
マリウスの命を救ってくれたのが、この老紳士であろうとは老人もマリウスも夢にも知りませんでした。
「まことにめだたい限りです。一つ気にかかるのは私も財産をほとんど使い果たしてしまいマリウスにも財産が殆どないという事です。」「実は、コゼットには六十万フランほど持参金を持たせることにしております。」驚いたのはジルノルマン老人だけでなく、マリウスもコゼットも同じでした。

その日から、コゼットはフォ-シュルヴァン氏に連れられて毎日やって来て、甲斐甲斐しくマリウスの看護をしました。

マリウスとコゼットの結婚式は、あくる1833年の二月にあげられました。その当日、フォ-シュルヴァン氏は指に怪我をしたといって、右手を首からつっていました。そのため署名が出来ないというので、ジルノルマン老人が後見人としてかわりに署名をしました。

コゼットは、ジャン・バルジャンとは関わりない人間として結婚した事になります。この日のコゼットは、たとえようのないほど美しく純白のドレスがよく似合いマリウスもコゼットに引けを取らない凛々しい若者でした。ジャン・バルジャンは、一人自分の家に戻り指の手をつるしていた布をとり、指の包帯もとくと、指には傷など少しもありませんでした。
コゼットが去ってしまった部屋は、寒々としていてこれからは一人で暮らさなければならないと、思うと酷く味気ない思いでした。戸棚から小さいトランクを取り出し、中には、コゼットがモンフェルメイュのテナルディエの宿屋を出る時、身に着けていたものがそっくり入っていました。

あの時のコゼットは、ジヤン・バルジャンにすがりつき、この世でただ一人ジヤン・バルジャンだけを頼りにしていた女の子でした。そんなことを思い出した時、ジヤン・バルジャンは顏をベッドに伏せ、白髪の頭を震わせながら、声を押し殺して泣きました。
あくる日、ジヤン・バルジャンはジルノルマン家を尋ね、一夜のうちに、その顏はすっかりやつれてしまっていました。やがて彼は、重大な決心をして青ざめた顔でいきなり口を開きました。「私は、盗みを働いた罪で、十九年も刑務所に入っていた者なのです。」これを聞いて、マリウスもまた顏を青ざめさせていました。

「私は、コゼットの父親などではありません。私の本当の名前はフォ-シュルヴァンではなく、ジヤン・バルジャンというものです。コゼットは孤児だったのです。自分のような者でも、あの子の力になってやりたいと思ったのです。六十万フランの金のことはやましい金ではありません。細かい事はお話する必要はないでしょう。私がコゼットにしてやれる事は、全部終わったのです。」マリウスは、余りの驚きに口ごもりながら言いました。「黙っていれば、それで済んでしまう事ではありませんか。誰に追われているわけでもないではありませんか。」「私は、誠実な人間になりたいと思ったのです。私は社会の外に放り出された人間なのです。私は昨夜、眠らないで思い悩みました。そして、今朝になって決心がついたのです。良心に従って全てを話さずにはいられなかったのです。」二人は途方に暮れたように、それきり黙り込んで向かい合っていました。

「マリウスさん、今の話はコゼットに伝えないで下さい。あの子が可哀そうですから・・・」「分かりました。私一人の胸の奥にしまっておきます。」「マリウスさん、コゼットに、たまには会いに来る事を認めて下さい。あの子と、これっきり会わない生活は考えられません。顏さえ見たら、直ぐに帰ります。」
マリウスは老人のこの願いを拒む事など出来ませんでした。

ジヤン・バルジャンは時々コゼットに会いに来ましたが、ちょっと話をしただけで、そそくさと帰って行きました。やがて、ぱったりと姿を見せなくなりました。生き甲斐であり、心の支えだったコゼットがいなくなてしまって、ジヤン・バルジャンは、生きていく力を失ってしまって、もうどこへも出られなくなり、食べ物も喉を通らなくなってしまいました。
いつも傍に置いてあるトランクをあけ、コゼットが幼かった頃の衣類を見つめながら「せめて、最後にもう一度コゼットに会い、声を聞けたら・・・」と胸の中で思うのでした。あんなに強かったジヤン・バルジャンの目に涙が滲みました。涙はやがて押し殺した泣き声にかわり、年老いて生きる張り合いをなくした老人のすすり泣きでした。
暫くして、マリウスの屋敷に一人の男が訪れました。ああ、遂に現れたか!ワ-テルロ-での父の恩人、テナルディエの方からやって来てくれたのでした。

テナルディエは、「重大な秘密をお伝えいたします。その代わり、少々お金をいただきたい。」マリウスは「秘密とはどういうことですか?」「閣下のお屋敷にはジャン・バルジャンという人殺しが出入りしております。しかも、この男は脱走囚人なのです。」マリウスは「すべて、知っております。」テナルディエは、酷くまごついてしまいました。ジヤン・バルジャンのことも全てを、知っているこの人物は何者なのだろうか?
テナルディエとマリウスは、かつてゴルボ-屋敷で隣り合わせに住んでいましたが、お互いに顏を合わせたことはありませんでした。ゴルボ-屋敷のあの地獄のような部屋に住み、悪魔のように暮らしていたジョンドレット(テナルディエ)が、やってきたのです。
このポンメルシ-男爵が、あの時の貧乏弁護士などとは思いもよらない事でした。マリウスの方でも、こんな悪党が父の恩人だという事をはっきりさせたかったしコゼットの持参金の事でも何か聞きだしたかったのです。「テナルディエ君、ジヤン・バルジャンが人殺しで泥棒だということも知っている。マドレ-ヌという大金持ちの財産をかすめとったし、シャヴェ-ル刑事をピストルで撃ち殺した。私は現場にいたから確かだ。」「男爵、何だか話がちょっとばかりおかしいですね。」「どこがおかしいのかね?」「私は、本当のところを申しますが、ジヤン・バルジャンがマドレ-ヌ氏のものをかすめとってはいませんし、シャヴェ-ルを殺してもいませんよ。」そういうと、テナルディエはポケットから二枚の古新聞を取り出しました。

「わたしゃね、男爵、ジャン・バルジャンの奴の秘密を暴いてやろうと思いましてね、証拠を集めたのですよ。」
彼が見せた新聞記事にはマドレ-ヌ氏が裁判所で自分からジャン・バルジャンだと名のったものでした。シャヴェ-ルは自殺の前にバリケ-ドで捕虜になったが、ジャン・バルジャンにピストルを空にはなち、彼を助けてくれたというものでした。マリウスは二枚の新聞を一気に読んで驚きで茫然としましたが、同時に胸の中がすうっと軽くなってゆく思いでした。
「そうすると、悪人や人殺しどころか、聖人のような人じゃないか。」「これは、この私だけが知っている話でしてね。去年の六月六日、例の暴動騒ぎのあった日のことですが、私はちょっと訳がありましてね、下水道がセーヌ河に落ちる出口に隠れておりましたんですよ。」
これを聞いて、マリウスは(はっと)しました。

「私は、そこの格子門の鍵を持ってましたんですよ。夜の八時頃でしたね。一人の大男が人間の死体を担いで下水道の奥から出て来たんですよ。自分が殺して死体をセ-ヌ河へ投げ込むつもりだったに違いありません。その男と私は顏を合わせちまったのです。大男は鍵をかせと言うのです。その時、男の背中の死人は顏じゆう血だらけでしたが、まだ若い男のようでした。私は隙を見て死人の服の端を破りとったのです。後で証拠になると思いましてね。大男がジャン・バルジャンだと分かったのです。その服の切れ端といいますのはね・・・」テナルディエは血のこびりついた服の切れ端を取り出し指でひらひらさせました。
マリウスの顔には血の気がなくなり、余りの驚きに声もでませんでした。戸棚の中をかき回し、黒ずんだ血がこびりついた古い上着を出しました。
「その上着というのはこれだろう!それを着ていたのはこの私だ!」マリウスは、体がおののきあの時、自分を救ってくれたのは、ジヤン・バルジャンだとは知らずに・・・・
同時に、テナルディエへの抑えようのない怒りがふくれあがりました。「この嘘つきめ!貴様こそ本物の悪党ではないか!皮肉なことに貴様の思惑とは反対に私の命の恩人であることを証明することになった。ゴルボ-屋敷の部屋で何をしたか見て全部知っているのだぞ。刑務所に放り込むのは簡単だ。さっさとうせろ!これはワ-テルロ-でしてくれたお礼だ。」「ワ-テルロ-?というと、あのときの軍人はあなたの・・・」マリウスは、千フランや五百フランの札を投げ出し「まだ三千フランある。これもくれてやる。娘を連れて、どこへでも行くがいい。その時は二万フランを恵んでやろう。これも、父との因縁のお陰と思え!」

「閣下、ありがとうございます。」テナルディエは、訳が分からなままに札で膨らんだポケットを押さえ、ぴょこんと頭を下げて出て行きました。

マリウスは直ぐにコゼットを呼び、大急ぎでジヤン・バルジャンのもとへ駆け付けました。
馬車の中で、彼は事の次第を詳しくコゼットに聞かせました。そして、ジヤン・バルジャンに対してとった態度を恥じ悔いました。マリウスの頬には涙が流れていました。
扉をノックすると「お入り。」その声には力がなく、コゼットとマリウスが走り込みました。コゼットが、ジヤン・バルジャンの首に抱きつき、マルウスは「お父さん!」と、言って首を垂れました。

それ以外に、彼の感謝と詫びの思いを表す方法はなかったのです。「ああ、あなたも分かってくれたのですか。・・・ありがとう。」と、ジヤン・バルジャンはかすれた声で言いました。コゼットは、老人の皺のよった額にくちづけをしたり、色々と話しかけたりして、幼かった頃そのままに振る舞い、ジヤン・バルジャンは嬉しそうにされるがままになっていました。

やがて、ジヤン・バルジャンは、いっそう細くかすかになった声で言いました。「マリウスさんも分かってくれ、おまえもそんなに優しくしてくれて嬉しいが、だが、わしはもう・・・」コゼットは、だんだん冷たくなっていく手に怯えたように叫びました。「どうしたの、ご病気なの、お父様!」コゼットとマリウスは思わず息をのんんで顏を見合わせました。「マリウスさん、あの六十万フランは安心して使って良い金です。コゼットを幸せにしてやってください。」その声は次第に細っていきました。「私は二人が来てくれたのを待つていたような気がする。もう、幸せに死ぬ事が出来る。楽しい眠りにつくことが出来る。二人はいつまでも愛しあっておくれ。この世に愛しあう以上に尊い事はないのです・・・」
これが、この世のあらゆる苦難と悲惨な経験をしながら、清らかな、美しい魂に目覚め、今まさに天国へ旅立とうとするジヤン・バルジャンの最期の言葉でした。
パリのぺール・ラシェ-ズ霊園の片隅に名も刻まれない小さな墓石がたてられました。
墓石には、、誰かの手で次のような文が書き込まれました。

ここには数奇なる運命を生きたる人、眠る。彼はおのれの天使を失いしとき死せり。昼の去るとき、夜のきたるときのごとくに。
《わたしの感想》
ジヤン・バルジャンは、長い刑期を終えて町にやって来ましたが世間の冷たい仕打ちに心が、打ちのめされてしまいます。ミリエル司教との出会いで、ジヤン・バルジャンは変わりました。人との出会いで人生は大きく変わるものだと思いました。映画なりお芝居を見て本を読みますと、時代の背景など良く分かると思います。
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