
~【ごん狐】は、子供の頃読んだ時は、〈ごん狐〉が死んでしまって、
ただただ可哀そうで、悲しくって,たまりませんでした。
でも、いま、読んでみますと、子供の頃読んだ時とは、ぜんぜん違う気持ちになりました。~
〈あらすじ〉
これは、私が小さい時に、村の茂平というおじいさんからきいたお話です。
山の中に〈ごん狐〉といういたずら好きの一人ぽっちの〈小狐〉がいました。

ある日〈兵十〉という男が、
魚をとるはりきり網の、うなぎや魚などを入った網に〈ごん狐〉がいたずらをして
〈兵十〉の大切な、うなぎを、逃がしてしまいました。

〈ごん狐〉は、いつもと同じで
『ちょっとした』寂しさから、やってしまったことです。
それから、10日ほどたって〈ごん狐〉は、弥助の家内がお歯黒をつけているのを見て、
お葬式があるのだと気がつきます。
誰のお葬式なのかと思い、彼岸花の咲く浦地までついて行くと、
〈兵十〉の母親のお葬式だったのです。
そして、あの時〈兵十〉がうなぎを獲っていたのは、病気の母親のためだったのだと分かります。
〈ごん狐〉は、「兵十のおっ母は、床についていて、うなぎが食べたいと言ったにちがいない。」

「ちょッ、あんないたずらをしなけりゃよかった。」
「おれと同じ一人ぽっちの〈兵十〉か」
〈ごん狐〉はうなぎのつぐないに、いわし売りのいわしを5・6匹盗んで
〈兵十〉の裏口から家の中に投げ込みました。
しかし、〈兵十〉は、いわし屋に泥棒と間違えられぶん殴られてしまいました。
〈ごん狐〉は、またも〈兵十〉を傷つけてしまった。

毎日、山からきのこや、栗や、マツタケを、そっと物置の入り口に置いてきました。
〈兵十〉は、〈加助〉に 「毎日に、誰だか知らんが、栗、マツタケを、置いていくんだよ。」と
相談すると、<加助>が、「毎日山の神様にお礼を言うがいいよ。」と言われました。
そのあくる日も、〈ごん狐〉は〈兵十〉の家に出かけました。
いつものように、山の栗やマツタケを持って家の裏口からこっそり入った時、
丁度<兵十>と居合わせました。

<兵十>はこないだ、《うなぎを盗みやがったあの<ごん狐>、またいたずらをしにきた。》
と思い、火縄銃で、『ドン』とうちました。
ぱたりと倒れた〈ごん狐〉の土間の近くに、栗やマツタケがかためておいてありました。
〈兵十〉はびつくりして「〈ごん〉お前だつたのか。いつも栗をくれたのは。」
〈ごん〉は目をつぶったままうなずきました。

《私の思い。》
~今、改めて読んでみて、
思うのは〈ごん狐〉も、〈兵十〉も母親を亡くして、一人ぽっちになったことです。
〈ごん狐〉は、自分も一人ぽっち、〈兵十〉も一人ぽっち、
寂しいだろう、悲しいだろう、と思い、
山の美味しいものを食べたら元気になるだろうと思って、毎日届けに行ったこと。
罪滅ぼしもあるが、〈ごん狐〉の切ない思いが伝わってきます。
最後の場面は、読んでいて胸に突き刺さる思いになりました。
〈兵十〉はここで、すべてが、分かったことで、
どんなに〈平十〉は、辛くなったか・・・・・・
〈ごん狐〉はすべてが分かってもらえて、嬉しかったと思います。
〈兵十〉は、きっと〈ごん狐〉を手厚く葬って、
毎日お墓でいろいろな出来事を、<ごん狐>に語りかけていると思います。
その姿が目に浮かびます。~

・・・・🌟 新美 南吉 🌟・・・・
大正二年、父 渡辺多蔵 母りゑの次男として愛知県知県知多郡半田町岩滑
(現在の愛知県半田市)に,生まれる。
本名は正八。
四歳の時母を亡くし、八歳になる頃、母の実家、新美の養子となる。
昭和18年1月はじめから、新美南吉は床に伏し、3月になると喉の痛みがはげしく、20日頃にはほとんど
声が出なくなってしまいました。
29歳7ヶ月、春の朝になくなりました。
昭和18年、戦争が激しくなって敗戦へと傾いていく時期です。
【ごん狐】が広く国民に知られるのは戦争が終わってからのことです。
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