
【あ・うん】を読んで、
読む環境と言うか、そのときの年齢によっても感じ方は大分違ってくるものだといました。
【あ・うん】は、神社に並ぶ こま犬(阿・吽)男二人に見立てたことです。

大人の密かに思いをよせる恋と、友情、そして人間模様を描いた物語です。
《まとめた、あらすじ》

昭和初期、太平洋戦争を控えた世相を背景に山の手を舞台にした上品な大人の物語です。
軍需景気に湧く時代。中小企業の社長、社員は三百人を、越して景気がいい。
門倉修造は羽振りが良く、妻、(君子)がいながら芸者遊びも派手でした。
一方、小さな製薬会社に勤務する、サラリ-マン水田仙吉は、地方支店長からやっと本社の部長に栄転した仙吉は慎ましい月給暮らしです。
門倉とは戦友で、親しく付き合いながらも仙吉は地味な男です。
門倉と、仙吉は対照的な人間です。不思議と、馬が合い20年以上も親交が続いていました。
水田仙吉は、地方転勤からか東京に舞い戻るたびに門倉は社宅探しをやって来ました。

三年半振りに東京に戻って来て門倉は、水田一家と、家族ぐるみの付き合いを再会しました。

門倉の妻(君子)が、水田の娘(さと子)の縁談話を持って来ます。さと子は生まれて、はじめて見合いをしました。

お下げの髪をおろして大きなリボンをつけ、お化粧をしてもらったら、鏡の中の顏が母親そっくりになりました。
見合いの相手は、辻村研一郎といい、来年三月に帝大を卒業します。さと子は、帝大という言葉に、もう半分恋をしていました。
水田は上司が使い込んだ、5千円の弁済を迫られていて、ジャワ支店に飛ばされるかも知れないと門倉に話します。話を聞いて水田に門倉は、5千円を無理矢理渡します。
その晩、夫から事情を打ち明けられた、たみは暫く布団の上に座っていました。夫は、後ろを向いたまま、「あいつは、俺に用立てたんじゃないよ」と言いました。
「お前が泣くの、見たくなかったんじゃないのか」何度も水を潜った仙吉の浴衣の寝巻が、闇の中で急にみすぼらしく見えました。「物好きな男だよ、あいつも。工場の方も資金繰りが忙しいってのに」振り向いた仙吉も、いつもの夫婦に戻っていました。
だが、見合いは断ることになりました。若すぎるし、胸が治りきっていないから、と言うのが表向きの口上だったのです。
仙吉がポッリと洩らしました。「おれの器量から、いやあ、帝大出の婿は気が重いな」
それと、他人に金を用立てて貰って縁談でもないだろうというのが本当の理由です。
門倉も君子の仲介(なかだち)でさと子を結婚させるのは、気が進まない、というところがありました。
さと子はふさいでいました。
「滋養をとらないと、体が本当にならないよ。お見合いしても、また断らなくっちゃならないよ」と、たみがすすめる牛乳を、そっと流しに捨て布巾で涙を拭きました。
お琴の稽古の帰り見合いをした、辻村健一郎が電柱の影に立っていました。さと子は生まれてはじめて男と喫茶店に入りました。

(蛾房)という暗い小さな店でコーヒ-の香りで、目まいがするようでした。「お見合いして断ったのに逢うのは、いけないことでしょうか」「自由恋愛なら、いいじゃないですか」男と二人だけで飲む黒くって重たい液体と自由恋愛という言葉に、さと子は体が熱くなりました。
この日、さと子は嘘をつきました。嘘とコーヒ-は良く似合うことに気がつきました。
さと子は、一番大事なことは人に言わないことも判りました。
さと子と辻村は、琴の稽古の帰りに、(蛾房)で落ち合い、コーヒ-を飲みました。さと子はもっぱら父と母と門倉のことでした。

「母と門倉のおじさんは、手を握ったこともないと思うんです。言葉にだしても好きだと言ったこともないと思うわ。父も知っていると思うんです。それでも愛っていうんでしょうか」
「やっぱり愛だと思うな。プラットニック・ラブですよ」

字で読んだことはあるが、男の口から聞くのははじめてでした。北村透谷が言い出した言葉です。「肉欲を排した精神的恋愛という意味です」
玄関を、入ったところで、さと子は、いきなり仙吉に頬を打たれました。辻村と逢っていたことが判ったらしい。
「断った相手だぞ。親に嘘ついて密会するとは何事だ」
さと子は、辻村の下宿で、はじめて接吻をしました。生温かいものが押しつけられました。
一瞬、なんのことかわからず、学生服の脂くさい匂いと煙草の匂いがしました。甘い味がすると書いたのを読んだことが、あったが甘くなんかありませんでした。
神楽坂の料亭八百駒の奥座敷で、仙吉は床柱を背にして、そっくりかえっていました。
門倉が、のぼせるだけあって上背のあるたっぷりとした美人まり奴が現れました。門倉は、仙吉を「水田子爵、うちの会社の金主だよ」と付け足しました。
「上には上があるのねえ。身についた威厳がおありになるわ」おべんちゃらを言われながら、酌をされていた仙吉は直ぐに降参してしまいました。

「惚れたわ」「あたし水田子爵に惚れたわ」と、まり奴は色っぽい流し目になりました。
仙吉は、ビリビリッと体に何かが走りました。電気時計を直していて感電して、踏み台から墜落したときとそっくりでした。
一回の接吻、辻村はあの後直ぐに肺結核にかかって故郷に帰ってしまいました。
一度手紙がきたらしいが、仙吉の命令で、たみが熱湯消毒と称して湯気にあてたので字がにじんで読めなくなりました。
それっきりになって、諦めようと言い聞かせているが、やはり尾を引くものがありました。
門倉は仙吉のうちへ来るときは白金三光町の表通りで運転手つきの自家用車を降り雨が降っても、雪が降っても門倉は、車を横付けにはしませんでした。
このところ、毎晩仙吉の帰りが遅いので、たみは「門倉さんだから言っちゃうけど、ポケットから月給の前借り伝票が出て来たんですよ」
玄関の格子戸を叩く音と一諸に酔った仙吉が帰って来ました。鼻唄まじりにうたいながら、水田子爵のご帰舘と玄関でふらつく仙吉は、「門倉と一諸でさ、奴さん返さないんだよ。勘弁してくれってのを、」上がりかまちに門倉が立っています。
仙吉はいきなり笑いだしました。ここは、笑うより仕方がありませんでした。
たみが「門倉さんは馴れてるもの。抵抗力があるもの。でも、お父さんは」「奥さん、申し訳ありません」頭を、下げたのは門倉でした。「おい門倉、なんでお前が謝るんだ」「道つけたの、俺だからさ」
門倉は、畳に両手をつきました。仙吉の分も詫びているように見えました。
建具の作造老人は耳が遠いのです。早稲田大学の学生に檜の軍艦を届けにいくというので、仙吉がさと子をお供につけさせました。
背の高い学生が四角い帽子を、乗っけて走って来ました。

さと子は、四角い帽子が気になっていたら、学生がさと子の頭に帽子を頭にのせてくれました。
作造老人が手紙をさと子に持って来ました。(もう一度四角い帽子をかぶってみませんか。待ち合わせの場所と時間が大きな
字で書いてあり、石川義彦)となっていました。
たみを泣かせ、金を工面して神楽坂へ出かけた仙吉はまり奴が落籍(ひか)されたと聞いて呆然となりました。
仙吉は、勤めから真っ直ぐに帰るようになりました。晩酌もやめ元気がありません。
さと子は二階に上がりきりで学生演劇の舞台監督をしている、石川義彦から人絹のルパシカを、作ってほしいとのことです。
小さな舞台でゴーゴリの(警察官)だと言います。

さと子は、見本を見い見いルパシカの仕立てに精をだしていました。
門倉の二号の禮子が子ども(守)を連れて仙吉のところにやってきたのは日曜の昼下がりです。
門倉が三号をつくったと言うのです。住居は禮子が調べていたので直ぐに見つかりました。
仙吉は、ゆとりをもって意見をしました。「前とは違うんだぞ。その子の父親なんだぞ。
馬鹿な真似はよせ」木戸から女が飛び出して来ました。

若い女を見て、仙吉は肝を潰しました。女は、まり奴でした。
「水田子爵」まり奴も、口をあけて立っていました。
渋谷のガードしたの焼鳥屋で仙吉と門倉は並んで酒を飲んでいました。「友だちの浮気を責めるのに、何も青筋立てて鼻の頭に脂浮かせて言うことないだろ」少し間があって、門倉は低い声で言いました。「それだけか」嫉妬(やきもち)がまじったように聞こえたからさ、と付け足しました。
門倉は酒のお代わりを頼みました。「このまま突っ走ったら、お前は必ず身を過(あやま)る。芸者に血道をあげたら、生易しい金じゃ済まないよ。そうなったら奥さんは、どうする。俺は辛いよ。そういう奥さんの顔見ていられないよ。」
「じゃあ、内のためにやったのか。たみのために何万だか金使って、まり奴落籍せたのか」
触れてはいけないものに触れてしまった息苦しさを、二人は思い溜息で吐き出しました。
汚ねえ野郎だよ、毒づき、当分顏を出さないでくれと、二人は言いたい放題でした。
袷(あわせ)の下に追加のルパシカを隠して縫っているところをたみに見つかったさと子は仙吉から相手の名前を言えと、責められました。
仙吉は、義彦を尋ねました。腰にガチ袋を下げた格好に、仙吉は、露骨に嫌な顏をしました。
「あんた、親は何してるんだ」「親は関わりないでしょう。恋愛や結婚は一対一だと思いますが」「その一対一を生んだのは誰なんだ。親じゃないのか」からはじまって、「収入」「ありません」「将来の見通し」「ありません」「ない?」
「将来の見通しのないのは、僕だけじゃないでしょう。日本という国も、このままゆけばアジアも世界全体も」帰ろう、と仙吉はさと子の手を引っぱりました。
「赤毛なんか、のっけて騒いでるやつの手伝いなどするから、新しがりにかぶれるんだ」と、怒鳴って力ずくで引っ張り「乱暴はよしてください」と、かばった義彦と揉み合いになり、談判決裂となりました。
ところが、数日後、訪れた門倉と君子は、義彦が財閥関係の製薬会社社長の息子だと報告しました。
結局、家柄をさと子にも言わなかったことが奥床しいということになりました。近々、うちで、すき焼きでもしょうと、わざっと仙吉はぞんざいな口の聞き方をしました。
義彦を招くことになったのだが、一足先に思いがけないことになってしまいました。
さと子が、義彦の下宿を尋ねたときに特高の手入れがありました。
さと子は警察へ引っ張られ、顏の広い門倉が裏から手を廻し、仙吉と二人で貰い下げに行って、さと子はその晩帰されました。
玄関の戸を閉めた仙吉はさと子をいきなり殴りつけました。さと子は、仙吉の目を見据えたて
「あたしが何をしたのよ。ぶつなら、この前あの人と付き合ってるって分かったとき打てばいいじゃないか。親が社長だと聞いてヘコヘコしといて」
門倉と、たみが間に入り、さと子は涙もこぼさず二階に上がっていきました。仙吉が、「門倉、お前の言うことならさと子は聞くから」
門倉は首を振りました。

「むつかしいな。みすみす実らないと判ってたって、人は惚れるんだよ」二人の男の指先から、紫色の薄い煙が上がるのを、たみは黙って見つめていました。
土曜の昼下がり、門倉は大きな西瓜をぶら下げて仙吉のうちを尋ねました。守の手を引いた禮子も一諸です。
この日は、守が半開きなっていた庭木戸を押してしまい、大人たちも後を追って庭先から入る格好になってしまいました。
縁側に近づいた門倉が、たみが男の白麻の背広の上着を着て、大真面目な顔で姿見に立っていました。男ものだから、身丈も袖丈もダブダブで、おまけに下はズボンなしの肌襦袢だから、旗でも持つたらチンドン屋でした。たみは、見られているとは気づかず、茶色に変色したカンカン帽を頭にのっけて様子をつくったりしています。
一足遅れて入って来た禮子が、けたたましい声で笑いだしてしまいました。門倉は、西瓜を手に、雷にでもうたれたように立っていました。

禮子がゆさぶると、喉の奥をぐうっと鳴らして、門倉は西瓜を縁側におっぽり、そのまま飛び出してしまいました。
二人の女は顏を見合わせ「我慢出来なくなったのよ。男のくせに笑い上戸なんですよ。」
門倉は、通りの電信柱におでこをくっけて寄りかかっていました。「いなあ。いい」何べんも繰返しました。
これなんだよ、これなんだよ、と呟きました。長い間、憧れていたものはこれだったのでした。
あの真面目さ。可笑しさ。可愛らしさ。「あぶないな。あぶないな」とも呟きました。
酒の席で籠倉は、仙吉に絡みました。

犬の真似をしろよと、嗤(わら)ったのでした。「水田の奴、芸なしだといってるけど、芸あるよ。奢(おご)られ上手も芸のうち、たかり上手も蝿(はえ)のうち」仙吉は、盃の酒を門倉に浴びせました。
蒼い顔して帰ってきた、仙吉は門倉と本日限り一切の付き合いを断つと宣言しました。
心ここにあらざるせいか、仙吉は歩いている人にぶつかるようになりました。七十を越している老人が死んだ父親に似ていたので、屋台のおでん屋に誘いました。
仙吉は、コップ酒をぐっとあおり、「友だちが俺のかみさんに惚れててねえ。(思ってる)てやっだ」
「勿論そんなことはおくびにもだしゃしない。カミさんの方も固い女で、知っていて知らんぷりだ。門倉っていうんだけどね、こいつがいい奴でさ。うまが合うっていうか兄弟よりも深い付き合いで来たんだが、突然喧嘩売られてね。こっちも気が短いもんで、絶交だとやったんだが、後で判ったよ。門倉の奴、ここまでと思ったんじゃないかねえ」「これ以上気持ちが深くなったら、とんでもないことになる。今まで大事にしてきたものに、汚点(しみ)つけることになる」
聞いているのか、いないのか、ガツガツと食い、むせながら酒を流し込む。
「一人で飲む酒は酒じゃないよ。逢いたくってねえ。自分の気持ちを断ち切るために、遠くへゆかなきゃ。」老人が小汚い指を立てて、酒の催促をした。

「のろけ料だよ」仙吉もお代わりをしました。
「娘の方も付き合っちゃいけない相手に惚れてるんで、こっちの方も一諸に引っ張ってゆきゃ、八方丸く収まると思ってね」
老人は、「南だが北だか知らねえけど、行くのよしなよ。懐、押え押え、油断しねえで暮らす方が面白いぜ」よろよろと、立ち上がり、もう一度仙吉にもたれかかってから、ごっつおさんと出ていきました。おい勘定とポケットに手を入れて、急に酔いが醒めました。札入れが消えていたのでした。
仙吉が玄関で靴の紐をほどきながら「ジャワに行くことにしたぞ」いきなりなので、たみもさと子も全く見当がつきませんでした。
格子戸の向こうに誰か立っている。背が高い。たみは叫びながら電灯をつけました。

「あけるな。あけたら離縁だぞ」たみは戸をあけました。門倉が立っていました。
「門倉さん、あたしたち、ジャワへゆくんですよ」「二十何年、仲良くやってきたんじゃありませんか。せめて」急に涙声になりました。
門倉は、溢れるものを堪えてたみを見てさと子を見ました。格子戸を閉めようとしたとき仙吉が待てよ、と声をかけました。
「上がっていっぱい飲んでいけよ」さと子が飛びついて、門倉を引っ張り上げました。
さと子は、「東京にのこりたいの。だめだったらベロを噛むからね」仙吉と、たみ、門倉は「馬鹿な真似はよしなさい」と泡くってとめました。
「ごめんください」「あ、義彦さん」

襖を蹴倒すようにさと子が玄関に飛んで行きました。「召集令状がきました」義彦は、さと子の後ろに立つ仙吉に向かって言いました。
「一週間後に、入隊します。」仙吉が声を絞り出すような声で「武運長久を、祈ります」
義彦は一礼して「ありがとうございます」と受けました。
そのまま、さと子に頭を下げて出て行きました。血の引いた白い顏で柱によりかかているさと子に門倉が声をかけた。

「早く、追っかけて行きなさい」「今晩は、帰ってこなくっていい」「門倉」仙吉が呻くように言って、振り向きかけるのをたみが体でとめました。
「おじさんが責任をとる」立ったままのさと子をうながしました。さと子の目が涙でふくれていました。
仙吉の背中が、こんにゃくのようにふるえていました。三人は、転がるように駆け出してゆくさと子の下駄の音を聞いていました。
その夜、さと子は帰りませんでした。男たちは、黙って酒を飲みました。
「あの男は、生きて帰れんな」仙吉はぽつん言いました。特高に睨まれて応召した人間は生きて帰れないという噂がありました。
「さと子ちゃんは、今晩一晩が一生だよ」門倉もこういいたいのを堪えました。

向田邦子
1929年(昭和4年11月28日)-1981年(昭和56年8月22日)私の、もっとも、大好きな作家です。彼女の人生はの結末は余りに急なことでした。
1981年8月22日台湾での取材旅行の途中で空港機が墜落してしまいました。51歳の若さで、余りにも、残念で辛すぎます。
向田邦子は、何気ない日常を独特の鋭い観察力と視点で捉えます。脚本家としても、素晴らしい感性の持ち主です。
テレビ・ドラマ(寺内貫太郎一家)視聴率も30%を超えたほどです。
ただただ、私は寂しいです。
コメント