『思い出トランプ』より【かわうそ】向田邦子を、読んだ感想!

~向田邦子の作品は、ドラマチックでもない、何処にでも

あるような市民の生活を、鋭い観察力とすばらしい表現力で

珠玉の名編に仕立て上げた作品です。~

~13枚のカ-ドが思い出トランプとなって、

それぞれの人生の絵柄を表現しています。~

《あらすじ》

宅次の指先から煙草が落ちたのは、月曜日の夕方でした。

宅次は庭先の縁側に腰かけて庭を見ながら、煙草を吸い

妻の厚子は座敷で洗濯物をたたみながら、いつもの話をむし返していました。

宅次の家は、大したことはありませんでしたが、植木道楽の父親が残した
200坪ばかりの庭先は、ちょっとしたものでした。

暦をめくるように季節で顔を、変える庭木や下草、
ひっそりと立つ小さい五輪の石塔は

薄墨に溶け夜の闇に消えていくのをみていると

1時間半の通勤も苦になりませんでした。
 

妻の厚子は不動産やに勧めらて、庭にマンションを建て
若手銀行員の寮にする話で

幾度となく宅次と口論が繰り返されていました。
 

宅次には定年まで、まだ3年ありますが、それからでも言いと考えていました。
 

指先にはさんでいた煙草がおちて、
「風がでたのか。」と宅次が言うと、厚子は人差し指をペロリと舐めて、
ろうそくを立てるように見せ「風なんかありませんよ。」と言いました。
 

その一週間後、宅次は脳卒中で倒れました。
 

宅次が、会社を休職中になると、厚子は前にも増して体をよく動かし、
よく鼻歌も歌うようになりました。

その顔が何かに似ていると思いながらも、

頭の半透明の中で地虫が鳴いているので、思い出せませんでした。
 

ぼんやりしている記憶のなかで、よそいきの着物に着替えた厚子は

高校の同窓会の打ち合わせで出かけると言いました、
 

厚子はここ一番と、いうときは、
着物で夏蜜柑の胸元をグッと押し上げた着付けは、

女同士での打ち合わせとは到底思えませんでした。

「おい」と呼び止められ、「なんじゃ」と、時代劇の真似をして振り返った厚子の顔が

思わず、【かわうそ】に、似ていると思いました。
 

【かわうそ】は、厚かましいが憎めない。
ずるそうだが目がはなせない。

ひとりでに体がはしゃいで、生きているのが面白くって嬉しくってたならない。

まさしく厚子は、【かわうそ】でした。
 

電話が鳴り、左手で掴み左の耳にあてるしぐさも大分慣れてきました。

宅次の大学時代の友人が

「厚子の発案で今から、宅次の今後を相談する集まりの会があるので行く。
5人程集まるが、今から出かける所だ。」

と伝えてきました。
 

けなげな妻の役を、けなげに演じ、
黒光りしたスイカの目を躍らせて、目をくりくり動かしながら

夏蜜柑の胸元を突き出して、生き生きと演じている厚子の顔が浮かびました。

宅次は昔学生時代に見た絵を、思い出しました。

学生時代に見た絵は、かなり大きな油絵でしたが
画面一杯に、
旧式の牛乳ビン・花瓶・花・茶碗・ミルクポット・食べかけの果物・切れ端のパン

処せましとおいてあり、
首をしめられて、目をあいて、ぐったりしている鳥が、
死んで卓上の上に、ところせましと沢山ならんでいました。

【かわうそ】のお祭りで獺祭図というのでした。
 

数多くの獲物を、【かわうそ】は食べるわけでなく、
並べて楽しむ習性があります。

ふいに、3歳で亡くなった宅次の一人娘の(星江)の顔が浮かびました。

宅次は一人娘が熱をだしていたので、
「武田先生に往診を頼むよ。」と言い、宅次は出帳に出かけて行きました
 

3歳の娘(星江)が熱がでていたのに厚子は、クラス会に行きました。

医師の往診を翌日に延ばしたことなど、
その頃立ち会っていた新人の看護婦のミスということになっていました。
 

何とか一人娘を忘れかけていた頃、
宅次が、偶然に立ち会っていた看護婦に駅で会い

「田舎に結婚するので帰りますが、正直に申しますと電話は、ありませんでした。」
 

どうして、あのとき厚子を殴らなかったのか、
また、頭の後ろで地虫が、じじ、じじと鳴いているので

思い出せませんでした。
 

夕方になり、歌うような厚子の声を聞いたとたん、
宅次は包丁を握りしめていました。

刺したいのは厚子の夏蜜柑の胸なのか、自分の胸なのか分かりませんでした。
 

厚子が「あらすごい。包丁が持てるようになったのね。もう一息だわ。」

宅次は、「メロンを食べようと思ってさ。」

「二つあるけれど、どっちにします。」と厚子の声は

もう、聞こえなくなっていました。

写真機のシャッタ-がおりるように庭が急に闇になりました。

《私の感想》

~文章が巧い。天才なんだと思う。

ひらめきが、ずばぬけて凄いと思う。

向田邦子の作品は、人の心の奥にひそめて居る、
はかり知れない内情など、見事に表現していると思います。

最後の一文「写真機のシャッタ-がおりるように、庭が急に闇になった。」

恐ろしいまでに、リアルに見事に書きだしています。~

~【かわうそ】のお祭りで獺祭図。

数多くの獲物を食べるわけだなく、
並べる習性は、お祭りで、獺祭図といいます。~

~私は【かわうそ】は、いつも、油断なく
目だけを動かしている姿と、両方の手をスリスリする格好は、
とても可愛く、水族館でみた記憶があります。~

向田邦子

昭和4年11月28日~昭和56年8月22日逝

昭和56年飛行機事故で急逝。

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