小説世界の主人公ですが、日ごろの自分に喝(かつ)を入れセルフネグネット(自分で自分を放棄する)流されない生き方は圧巻です。

《 あらすじ 》
三日後の午後、雪男と国分寺の妾の「緑の森内科クリニック」に行きました。
ハナは三日間のうちにエステに行き、ネイルサロンに行き、磨きをかけました。
クリスマスが近く、駅構内は買い物客でごった返しています。
「緑の内科クリニック」はビルの七階にあります。

妾は、ハナが想像していたいた女とはまるで違っていました。
上品で知的な印象の美人の女性でした。
ハナは、気合を入れて磨き隙なく装ってきましたが妾の短く切った清潔な爪、立ち姿は品がよくハナは何だかひどく自分が田舎くさく思えてきました。
挨拶がすむと、雪男は
「父とはいつ、どこで知りあったんですか」
妾にとって予期せぬ速球の言葉にしばらく沈黙が続きました。
妾は
「私の兄と忍さんは親友でした。私が二十四の時、兄は三十五で病死しました。私が親友の妹で小さい頃から忍さんはよく知っているためかとても力になって下さいました。お付き合いが始まったのは、翌々年からで私が二十六だったと思います。私は二十九歳の時医大に入りました。出産したのは三十二の時で大学四年生でした」

岩造は三十七、二人がハナを騙していたのは四十二年間に及ぶわけです。
妾は、覚悟を決めたのか、聞かれたことには丁寧に取り乱すこともなく答えました。
ゆとりを演出しすぎて立ち去ろうとした時、突っ返すために持ってきた掛け軸にやっと気がつきました。
「これ、あなたが田所昭二の主治医としてもらって下さったんですし、忍の遺言書にもございましたので、どうぞお納めください」
とテーブルに広げて座り直しました。
ハナは、掛け軸をテーブルに広げ妾に
「これを、クリニックにかけたら患者さんの励みになりますよ」
と、妾に話しても必死に手を振りらちが明きません。

ハナが掛け軸を巻き戻そうとした時、一滴も飲んでないコーヒーが肘(ひじ)にあたり残らず掛け軸にかかってしまいました。
「二人とも頂けない物ですから、これでよかったのかもしれませんね」
すでに暮れた外に出るなり雪男が
「ワザットコーヒーこぼしたろ」
ハナと雪男は笑いました。
その翌日、突然孫の雅彦が仙台からやって来ました。

雅彦は正面からハナを見て「(死後離婚)というのがあるんだよ。今から役所に行こう」

役所では、若い職員が、
「(死後離婚)は、俗称でして正しくは(姻族関係終了届)と言います。姻族というのは、配偶者の両親、兄弟姉妹などですね」
と言うと、資料を広げました。
「配偶者の死後に舅や姑の面倒を見なければならなくなったり、小姑ら姻族から不快な思いをさせられたり、法的に関係を終了すれば完全に他人。無関係です。ですから(死後離婚)と言われるわけですね」
「配偶者が死んでいても、戸籍を抜いて旧姓にもどすことはできます。(複氏届)という書類を提出して頂ければ戻せますので」
ハナは、終了届と復氏届の用紙を貰って雅彦の車に乗りました。
雅彦が
「歳をとっても綺麗にして偽善者で居続けたなら、その人は善者であるって」
と、ハナに話ました。
ハナは、家に戻って、雅彦が言った言葉を思い出しました。

ということは、真の姿がバアサンであっても、若く綺麗に装い続ければ、その人は(きれいで若い人)ということ・・・・・です。
考えてみると岩造は徹底的に偽装し続け、愛妻家であり、良き父であり、細やかな家庭人であり・・・・・偽装を貫き通し、死にました。
ハナはその姿を信じて疑いませんでした。
雅彦の言う通り、死ぬまで家庭に偽善を尽くした岩造は(善者)だったかも?知れません。
そう考えると、妾の子に(岩太郎)という名をつけ、ハナにはハナのことを四十二年間(俺の宝)と言い続けた思いも分かる気がします。
岩造にとって、妾との暮らしが巣のもので、ハナとの暮らしは(偽善を徹底することで善と偽(な)すというものだったと思います。
ハナは、そう考えると納得がいくと思いました。
ビールを飲みながら考えていると、電話が鳴りました。
高校の時の明美からの電話でした。
雅江は、同期会から間もなくしてスーパ-マ-ケットで転倒し、大腿骨を折り全身麻酔の手術を受けて一ヵ月ほど入院し退院後は寝たきりで認知症が出始めたとのことです。
息子さんから手紙が来て「今ならまだ友だちの顏も思い出せます。明美さんとあとハナさんという方のスカートの話をよくしていました」
ハナは、電話で聞かされ高校時代も特に親しくなかったので驚きました。
翌日、明美とJR池袋で待ち合わせをして東松山からバスに揺られて病院に向かいました。
明美が
「息子の嫁さんとうまく行ってなくって早い話が遠くに追い出されたんだよ。安い施設らしい」
ハナは
「認知症が進む中で、どうして私を覚えていたんだろ」
「同期会で会った時、羨ましかったんだよ。高校時代は雅江の方がスターだったのに今は若くって素敵なスカートをはいて・・・・・ハナが同期会にはいてきたスカート好きだったんだね」
東松山から二十分以上もバスに揺られ、着いたのは認知症も受け入れる介護療型の医療施設でした。
雅江は職員に車椅子を押され、入って来ました。

雅江はやせて、声はかすれて小さくなっていましたが、私たちをすぐにわかりました。
「あなた達は、卒業式の帰り?」
ハナが、
「これ雅江が好きだったスカートをお土産に持つてきたのよ。どうぞ」
雅江は穏やかな目でわたし達を見ました。
「私、もう行くとこもないし、歩けないし、誰も来ないし。このスカート羨ましかったんだ。ハナによく似合っていたのに、もらっていいの?」
雅江は、スカートを胸に抱きました。
職員は私たちに会釈をし、車椅子を押して出て行きました。
雅江は、ドアが閉まる時に振り返り、私たちを知らない人を見るような目でした。
年が明けました。
やがて松も取れ、世の中がいつも通りに動き出すと孫の雅彦が仙台に戻る日が来ました。
孫のいづみと、雅彦にスニーカー・セーター・スカートをねだられ銀座まで行きました。
ハナたちが、信号を渡ろうとすると、向こう側から走って信号を渡ろうとする妾と岩太郎でした。
横断歩道の真ん中で、妾の靴が脱げて後ろに飛びました。
岩太郎が靴を拾いに走り、渡りきる寸前に信号が赤になりました。
妾と岩太郎は、「ヤッター」とでも言うように笑いました。
ハナは、
「お二人で楽しそうなところ、すみません。お話があるので、すぐすみますので喫茶店でいかがですか」

喫茶店で、それぞれ皆が飲み始めた時、ハナは
「私、岩造と死後離婚します」

雅彦はちらと目を上げたが、他の誰も意味がわからないようでした。
《 わたしの感想 》
死後離婚(姻族関係終了届け)復氏(ふくうじ)届けなど勉強になりました。
生きている間は離婚が無理でも死んでから離婚が出来ることは有難いことです。
配偶者の両親、兄弟姉妹、法的に関係を終了すれば完全に無関係になれることは素晴らしいことです。届けでに姻族サイドの同意は不要で、姻族側に通知をしません。
遺産相続、遺族年金の時給にも影響がないとのことです。
全国で死後離婚は、婚家先の墓に入りたくないのも多いらしいです。
女性も死後離婚ができて、自由になれて人生やり直しが出来る時代になりました。
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