
《あらすじ》第三部-③ 最終話

モモは、円形劇場跡に帰るのが嫌でした。
真夜中に会おうと言った灰色の男は、きっとそこに来るに違いありません。モモは、二度と灰色の男には会いたくありません。
一番安全なのは、たくさんの人たちに紛れ込むことだとモモには思えました。
その日の午後からずっと夜遅くまで、モモは人込みに交じって町の盛り場から盛り場へと歩き続けました。
一日中歩きぱなしだったので、足が疲れてうずき始めました。モモは、半ば眠りかけながらも、また歩き続けます。
遂に、モモは考えました。「ちょっとでいいから休みたい。そうしたら注意力が戻ってくるんだけど・・・」道路の端に一台、三輪トラックが止まっていました。

荷台にに色々な布袋だの、段ボール箱だのが、載っています。モモは、そこによじ上ると布袋を背にして座り、疲れた足を縮めてスカ-トの中に隠しました。
とっても楽になり柔らかくって、いい気持になりました。ほっと、ため息をつくと、布袋にもたれかかり自分でも気のつかないうちに疲れ切って眠り込んでしまいました。
混乱した夢が、どっと襲いかかってきました。パタパタ、カタカタという音が大きくなりました。どんどん大きくなり、とうとうモモは目を覚ましました。

辺りは真っ暗で、自分がどこにいるのか分かりませんでした。そのうち、自分がさっきトラックに乗ったことを思い出しました。あの音は、モータ-の音だったのです。
気がつかないうちに、車は大分長いこと走ってきたようです。トラックのスピ-ドは、たいしたものではありませんでしたから、モモはよく考えもしないで、飛び降りてしまいました。モモは、逃げる気がしなくなりました。今まで、逃げまわったのは、自分の身の安全を計ってのことです。
ところが、本当に危険にさらされているのは、友だちの方で助けることの出来る人間はモモをおいていないのです。
友だちを、自由の身にしてくれるよう灰色の男たちを説き伏せられる見込みが、ほんの少しでもあるなら、やってみるだけは、やらなければなりません。

モモは、急に自分の中に不思議な変化が起こったのを感じました。不安と心細さが激しくなって、その極に達したとき、その感情は突然に正反対のものに変わってしまったのです。この世のどんな怖ろしいものが、相手でも負けるものか、という気持ちになりました。
今いるところが分からず、どっちの方角に行ったらいいのか、まるで見当もつきません。それでも、構わずモモは、当てずっぽうの方角に走りだしました。
裸足ですから、自分の足音さえ聞こえません。とうとうモモは、だだっ広い、からっぽの広場に出ました。
どうしたらいい、今になって何が出来る?モモは途方に暮れました。「あたしはここよ!」モモは闇に向かって、声の限り叫んでみました。
その声が、灰色の男に届くことは、期待していた訳ではありません。ところが、あちこちから、この大きなからっぽの広場に、たくさんの車が、モモの立っている広場のまん中に向かってゆっくりと進んで来ます。やっぱり、灰色の男たちは現れたのです。

でも、これほどの人数を揃えてやってこようとは、思いもよりませんでした。こうすっかり取り囲まれては逃げることも出来なくなって、モモはぶかぶかの男ものの上着の中に手足を出来るだけ引っ込めて、小さく縮こまりました。そのとき、モモはあの花々と、壮大な音楽のあの声とを思いおこしました。
すると、たちどころに怖ろしさは消え、力が湧き起こってきたような気がしました。どれくらいの、人数か分かりませんが灰色の男たちが車から降り、たくさんの視線が
モモに注がれます。好意なぞ、みじんも含まない視線です。モモは、寒気がしました。かなり長い間、灰色の男たちも、モモも、口をききませんでした。
しばらくしてやっと、灰色の声が響きました。

「これがモモという女の子か。我々に挑戦出来るなどと考えた子だな。この惨めったらししい恰好を、ようく見ろよ!」この言葉に続いて、騒めきが起こり、遠くから、笑いの合唱のように聞こえます。
「気をつけろ!」押し殺したような別の灰色の声が注意しました。「この子が我々にとって、どれほどの危険となりうるか、皆も知っているだろう。
この子をたぶらかそうとしてみても無駄だ。」
モモは耳を澄ましました。再び長い沈黙があり(本当のことを口にするのを恐れている)とモモは感じました。やっと、灰色の声の男が口をききました。

「マイスタ-・ホラを知っているか?」モモは頷きました。「彼のところに行って、時間の花を知ってるんだな?」モモは、また頷きました。
またもや、かなり長い沈黙が続きました。モモは寒さで身体が震え上衣をかき合せました。
「我々は、マイスタ-・ホラという人物に会ってみたいのだ。おまえは案内してくれるだけでいい。我々が、すっかり腹を割って話している。おまえに、友だちも返してやる。皆で昔のように楽しく暮らせるんだ。これなら、まったく割のあう話じゃないか!」
このときはじめて、モモは口を開きました。唇が寒さで氷ついて、話すのにとても骨が折れました。「マイスタ-・ホラに会って、どうするの?」モモはゆっくりと聞きました。
「知り会いたいのだ。おまえにはそれだけしか言えない。」声が鋭く返ってくると、ともに寒気が増しました。モモは、黙ったまま、(じっと)反応を待ちました。

灰色の男たちの間に、騒めきが起こり皆苛立ってきたようです。突然相手の声は、緊張の極に達したようにけたたましく響きました。
「我々は、うんざりしたんだ。ちびちび時間をかき集めるのにはな。全部の人間にの時間を、そっくりまとめて貰いたいんだ。
それをホラに渡して貰わなくってはならん!」
モモは、驚いて「人間はどうなるの?」
悲鳴のように甲高くなった声が聞こえました。「この世界を人間の住む余地もないようにしてしまったのは、人間自身じゃないか。今度は我々がこの世界を支配する!」
「我々が本心を話したことは分かったろう。約束は守る。だから、ホラのところに案内してくれ。」
モモは、寒さで考える力も奪われてやっと言葉が出せました。「分からなくなったの。知っているのはカシオペィアだけだわ。」
「それは、誰だ?」
モモは、ほとんど意識を、失いかけてまわらぬ舌で言いました。

「マイスタ-・ホラのカメさん。でも、はぐれちゃった。」
まわりで、興奮して「直ぐ、緊急警報だせ!「カメというカメを調べろ!」騒ぐ声は次第に消えて静かになりました。
モモは、意識を取り戻しました。大きな広場に底知れぬ虚空から吹いてくるような冷たい風が今一度吹きぬけてゆきました。灰色の風です。

どのくらい、時間がたったのかモモには感覚が戻ってきません。全ての、望みが消え、そのうえ、カシオペィアのことも心配でした。
カシオペィアのことを口にすべきでは、なかったと激しい自責の念にかられました。その途端、裸足の足に何かさわったものがあります。

すると、カシオペィアが、「マタキマシタヨ」と、文字が光りました。モモは、ひそひそ声で、これまでのことをカメに話しました。「これからどうしたらいい?」話し終わったとき、モモは聞きました。カシオペィアは注意深く傾けていましたが、今その甲羅に返事が浮かびました。「ホラノトコロニ ユキマショウ」
モモは、びつくりして「灰色の男が皆でおまえを捜しているのよ!」けれどカメの背には「ユクコトニナッテマス」と出ただけです。
モモとカメが広場から出る狭い道に消えるが早いか、灰色の男の一部がまだ残っていたのです。果てしなく長いと思われた時間を歩き続けたあと、ふいに足もとの道が白く
明るくなったのです。疲れ切って重い瞼を開けて辺りを見わたすと、マイスタ-・ホラのところにたどり着くまで、あと一息です。
モモは、カシオペィアに「もうちょっと、早く歩けない?」「オソイホド ハヤイ」カメはこう答えるとこれまでよりノロノロと這いました。
この前のときのもそうだったのです。ここでは、その方が早く進めることが出来ました。
灰色の男たちはモモとカメに追いつこうとはせず、二人の速度にあわせて後をつけていたのです。
真っ白い地区の奥深くに進みました。(さかさま小路)に曲がる角です。カシオペィアはもう角をまわって、(どこにもない家)へと歩みを進めています。
モモはこの道では後ろを向いて歩かなければならないのを、思い出し後ろ向きになりました。

その途端、心臓が止まりそうになりました。まるで灰色の男たちが動く壁のように、道幅いっぱいにびしり並んで、こっちにやってくるではありませんか。

ところが、またしても不思議なことがおこりました。
(さかさま小路)になだれ込もうと、するやいなや 追手の最初列の男の身体がモモの目の前で、両手、足、胴体、最後に驚きと引きつった顏が消えてなくなり
ました。これ以上追いかけてこようとするものは、一人もありません。
要約、モモは(どこにもない家)につきました。

モモはその中に飛び込み無数の時計のある小部屋にたどりつくと、ソファ-に身を投げて綺麗なクッションに顏を隠しました。
もう、何も見たくもありませんし、聞きたくもありません。少しずつ、モモは、夢のない深い深い眠りから浮かびあがってきました。
不思議と疲れがとれ、元気になっているのを感じます。
「ああ、わたしたちのモモが目を覚ました!」マイスタ-・ホラは優しく言いました。「気分は、良くなっただろうね?」
「ええ、とっても。ありがとう。ここで勝手に眠ちゃって、ごめんなさい。」
「カシオペィアが、もう、話してくれた。わたしは何でも見えるメガネで見ていたからね。」「で、灰色の男たちはどうしているの?」
「わたしたちを包囲しているよ。(どこにもない家)を、すっかり囲んでいる。つまり近づくことが出来る範囲でね。彼らは(さかさま小路)に足を踏み入れると
身体が消えてなくなってしまうのだ。」マイスタ-・ホラは、カシオペィアに「包囲されている間に最上の策はなんだね?」
「アサゴハンヲ タベルコト!」「そうか、それも悪い考えじゃないな。」その途端に、また、この間のように金の輝く朝食が並んでいました。

湯気のたつチョコレ-トのポット、はちみつ、バタ-、パリパリに焼けたパンです。モモは、これまでにも、始終、この素敵な食事を思い出しては、もう一度
食べたいものだと、唾を飲み込んでいましたから、直ぐに口に頬張りはじめました。この前のときよりも、もっと美味しい気がします。
マイスタ-・ホラも食欲旺盛なところを見せていました。しばらくしてから、モモは頬っぺたをいっぱいにしてモグモグしながら言いました。
「あいつらはね、全部の人間の時間がそっくりほしいって言ってるの。」
「そうだとも、時間というものには、はじめがあった以上、終わりもある。終わりは人間が時間を必要としなくなったときに、はじめてやってくるのだ。わたしは、灰色の男たちに一秒たりとも奪わせないよ。」「彼らは、葉巻なしでは生きていけないからな。」
「いったい、あれはどういう葉巻なの?」
「時間の花を覚えているね?人間は金色の時間の殿堂をもっている、それは人間が心を持っているからだって。ところが、人間がその中に灰色の男を入り込ませてしまうと、やつらはそこから時間の花を、どんどん奪うようになるのだ。そうやって、人間の心からむしり取られた時間の花は本当に時間として過ぎ去った訳ではないから死ぬことが出来ない。だが本当の持ち主から切り離されてしまったために、生きていることも矢張り出来ない。花はその繊維組織の一筋一筋にいたるまで全力を、振り絞って、自分の持ち主のところに帰ろうとするのだ。」
モモは息をのんで聞き入っていました。
「いいか、モモ、悪いやつにも秘密があるものだ。灰色の男たちが盗んだ時間の花をどこに隠しているのかわたしにも分からない。分かっているのは、この花に
自分たちの冷気を吹き付けてガラスのようにカチカチに凍らせているということだ。こうしておけば、花は逃げ出せないからね。どこか地中に深く大きな貯蔵庫があって
その中に凍らせた時間が全部閉まってあるに違いない。でも、そこでも時間の花は、まだ死んでいない。」
モモの頬は怒りに燃え立ちました。
「この地下貯蔵庫から、灰色の男たちは耐えず時間を補給している。時間の花から花びらをむしりとり、それを灰色になるまで乾かして、それで小さな葉巻を作るのだよ。でも、このときまでは、花びらにはまだ幾ばくか、命が残っている。だが、生きた時間では、灰色の男たちの身体には合わない。だから葉巻に火をつけて吹かすのだ。こうやって煙になってはじめて、時間は本当に完全に死ぬのだ。こういう人間の死んだ時間で、やつらは命をつないでいるのだよ。」
モモは、立ち上がって叫びました。「ああ!そんなにたくさんの死んだ時間が・・・」

「(どこにもない家)の上へ上へと伸びているこの煙は、死んだ時間から出来ているのだ。今はまだ上の方の空が残っているから、わたしは無事に人間たちに時間を
送ってやれる。この黒い煙がすっぽりこの家を包んでしまったら送り出す時間には、どれも灰色のいやらしい時間が少し交じってしまう。人間はそんな時間を、受け取ったら病気になる。それも死ぬほど酷い病気になるのだ。」
モモは茫然とマイスタ-・ホラを見つめて、低い声で聞きました。「それは、どういう病気なの?」
「はじめのうちは気の付かない程度だが、ある日急に何もする気がしなくなってしまう。無気力が激しくなっていく。自分に対しても世の中に対しても不満が募ってくる。何もかも、どうでもよくなり、感情がなくなってしまう。そうなってくると心の中は冷え切って、人も物も愛することが出来ない。ここまでくるともう病気は治らない。そうなったら、灰色の男そのものだよ。この病気の名前は(致死的退屈病)と言うのだ。」

モモの身体を悪感が走りました。
マイスタ-・ホラはモモの方を向きました。「おまえが、手伝ってくれるかね。おまえを計り知れないほどの危険の中に送りださなければならない。そして、世界が永久に静止したままになってしまうか再び生きて動きだせるようになるかお前次第だということになるのだよ。本当に、やる勇気があるかね?」
「はい」モモは確りとした声で答えました。
「時間がなくなってしまうと、わたしは二度と眠りから覚めることが出来なくなってしまう。そうなれば、世界は永遠に静止したままだ。モモ、おまえだけに時間の花を一輪渡しておくことが出来るのだ。世界中の時間がとまってしまっても、一時間だけ時間がある。灰色の男たちが時間のとまったことに気がついたら時間貯蔵庫に駆けつけるだろう。そしてその隠し場所が分かったら、やつらが貯めて置いた時間を取り出せないように邪魔をしなくってはいけない。モモ、もう一つ仕事が残っている。時間泥棒が最後の一人りまで消えてしまったら盗まれた時間を全部解放してやるのだ。この時間が人間のところにかえっていってはじめて、世界は静止の状態から救われて、わたし自身も眠りから覚めることが出来るからなのだよ。これだけのことを、全部やるのに、おまえには、僅か一時間の時間しかないのだ。」「それでも、やってみてくれるか?」マイスタ-・ホラは聞きました。
モモは、こんなことがやりおおせようとは、どうしても思えません。

「ワタシモ イッショニユキマス!」突然カシオペィアの背に文字が光りました。一人きりではないと考えると、勇気が湧きました。
マイスタ-・ホラはじっと、モモを見つめていましたが、やがて微笑が浮かびました。「おまえは、星の声を聞いたね。怖がってはいけないよ。」
「カシオペィア、おまえも一緒にやってくれるんだね?」「モチロン!」と甲羅が光りました。
「いつか、また会うこともあるだろうよ。モモ。それまでは、おまえの人生の一時間、一時間がわたしの、おまえへの挨拶だ。わたしたちは、いつまでも友だちだものね。そうだろう?」
「ええ、」とモモは言って、頷きました。
「ご機嫌よう、可愛いモモ。わたしの言うことにも良く耳を傾けてくれて、とても嬉しかったよ。」すると、突然にマイスタ-・ホラはまた想像を絶するような老人に変わりました。いつかモモを抱いて金色の殿堂に行ったときと全く同じに、きりたった岩山か、大昔からの大木のような老人になったのです。
モモはカシオペィアをかかえあげて、ぎゅっと抱きしめました。最大の冒険はもうはじまったのです。後戻りはできません。
まず最初にモモは、マイスタ-・ホラの名前の記してある小さな内側のドアを開け、それから大きな石像の並ぶ廊下を走り抜けて、外の緑色の金属の重たい大扉を
開きました。それがすむと、時計の広間に駆け戻りカシオペィアを腕に抱いて、次に起こることを待ちました。直ぐにおこりました!

突然、ぐらぐら揺れ時間が揺れた、言うなれば時震です。それと同時に、いまだ勝手、人間が聞いたことのないような物音でした。まるで、数千年、数万年の深みから聞こえてくるため息のようです。やがて、全てが収まりました。何一つ動きません。何処にも、訪れたことのない完全な静けさが広がり、時間が止まったのです。
モモは、気がつくと見事に美しい大きな時間の花を手に持っていました。

どんな小さなものも、時間がなくなった今は動かせません。カシオペィアが手足を、バタバタさせたので、モモはカシオペィアを見ました。
「ジカンヲ ムダニシテル!」甲羅に書いてあります。モモは立ち上がり、広間を駆け抜け、大扉の隅から外を覗くなりぎょっとして飛びず去りました。
時間泥棒たちは、ぜんぜん逃げないのです。モモは、広間に駆け戻ってカシオペィアを抱いたまま大きな置時計の後ろに隠れました。「はじめっから、困ったことになっちゃった。」モモは呟きました。
しまいには、広間に灰色の一大部隊が勢ぞろいしました。「どうも、可笑しいぞ、諸君!時計だ!時計をよく見てみろ!皆止まっている、ここの砂時計まで。」灰色の声が響きました。廊下を走って来る足音がしたかと思うと、灰色の男が興奮して両手をふりまわしながら大声で叫びました。
「車が何一つ動かない。人間から一秒だって時間を取ることは不可能になった。補給はすっかり途絶えたんだ!もう、時間はない!ホラが止めてしまったんだ!」
一瞬、死のような静けさがあたりを圧しました。「なんだって?補給が途絶えた?今持っている葉巻がなくなったら我々どうなる?」急に大混乱となって、皆はわめきたてました。「ホラは我々を、滅ぼす気だぞ!時間貯蔵庫に駆け付けよう!車無しで?」皆は一斉に小さなドアに、駆け寄って外に出ようとしました。

モモが隠れ場所から見ていると、混乱状態に陥った男たちは、互いに殴り合い、押し合い、引っ張り合ってドアの前のもみ合いは酷くなる一方です。

誰もが、自分の命を救おうと必死で、取っ組み合い、相手の口から葉巻を引ったくりあい、取られた方は急に力が抜けてあれよあれよという間に消えてしまいます。
モモは片手にカメを抱き、もう一方の手に時間の花を握って灰色の男を見失いようにすることに、今は全てがかかっています。
こうして、大都会の中を、あべこべの追跡がはじまりました。灰色の男の大軍が逃げ、片手に花を、もう一方の手にカメを抱いた女の子がその後を追います。
けれど、町のようすときたら、なんて奇妙なのでしょう!

車道には車がびっしり並んで止まり運転手の人たちは手をギアにかけたり、クラクションにのせたりしたまま、ピクリとも動かずに座っています。
歩道では、男、女、子ども、犬、猫ありとあらゆる歩行者がピンと硬直しています。散りかかった落ち葉が、途中でピタリと止まっています。
写真のように生気のないこの町を、灰色の男たちは走りに走りました。彼らは、こんな長い距離を足で走ることには、慣れていません。
息が切れ、胸が苦しくなります。しかも、小さな灰色の葉巻は、無くしたら最後の命がなくなるのですから片ときも口から離せません。
けれど、逃走を辛くしたのは、自分たちの仲間に襲われる危険の方もますます大きくなってきました。
自分の葉巻が燃え尽きてしまうと、絶望にかられて仲間の口から葉巻を引ったくったのです。ですから、彼らの人数は少しずつながらも確実に減ってゆきました。
ところが、そのとき、モモは一瞬他のことを、皆忘れてしまうようなことが起こりました。

ある脇道に、大好きな道路掃除ベッポを見つけたのです!「ベッポ!」とモモは叫んで、嬉しさに我を忘れて駆け寄りました。
モモは、ベッポに飛びつこうとしましたが、ベッポは鉄で出来ているようでモモの身体はガチンと跳ね返されて、あっちこっち痛くなりました。
モモの目から涙が溢れました。
ベッポは、小柄な身体は前よりも、もっと背が丸まって小さく見えます。優しい顏はげっそり痩せて、青ざめています。顎に無精ひげが伸びています。
手には、使い古してすっかり先の(ちびたほうき)を持っています。
腕の中のカメが手足をバタバタさせました。「イソイデ!」甲羅に書いてあります。
モモは慌てて大通りに戻ってみて、ぎょとしました。時間泥棒は、一人もいません!見失ってしまったのです。茫然とモモは、立ち尽くしました。
問いかけるように、カシオペィアを見ました。「ミツカリマス サキヘススンデ!」と、カメの助言が光りました。
そこで、あるときは左へ、あるときは右へ、あるときは真っ直ぐ、足の向くままに走りました。

モモは、もう少しで勇気がくじけてしまいそうになったとき、不意に、しんがりの灰色の男が曲がるところを見つけました。
片足を引きずり、ズボンはずたずたに破れ、帽子も書類鞄もなくしてしまってますが、への字に結んだ口だけは、ちびた灰色の葉巻がまだかろうじて燻っています。
モモが後をつけていくと、果てしなく続く建物の列の中に、ぽつんと、そこだけ物のない場所に出ました。高い板べいが、ぐるりとその建設現場らしい一角を囲んで立っています。その板べいに少し開いたままになっている戸口があって、その中に灰色の男の最後の落伍者はするりと姿を消しました。
戸口の上には掲示が出ています。モモは、立ち止って読みました。

直ぐ、目の前には二、三十メートルの深さがあろうかと思われる大きな穴が掘ってあります。パワ-ショベルや、その他の建設機械がそこら中に立っていて、穴の底に通じる斜面には何台かのトラックが途中で、止まったままになっています。あっちこっちの建設労働者が、それぞれの恰好で硬直しています。モモは、穴の底に降りて辺りを見わしました。左官屋のニコラが、地面からつきでている太い土管の口を、指差しています。モモは、ぐずぐず考えず土管に潜り込みました。

まるで、滑り台のように凄い勢いで滑っていきます。モモは、カメと花を手から離しません。突然、土管が終わって、地下道に出ました。壁そのものが光りを出しているらしく、灰色の薄明かりが地下道にみちています。モモは裸足なので駆けても足音がしません。でも、灰色の男の足音がまた聞こえてきたので、その音のする方に走ったのです。しばらくすると、騒がしい声が聞こえてきました。
直ぐ、目の前に大きな広間があって、とてつもなく長い会議用のテーブルがあります。その両側に二列に並んで灰色の男たちが、というより、かろうじて生き残った灰色の
敗残兵たちが座っています。

広間の奥の壁には巨大な金庫の扉が見えました。広間からは、凍り付くような冷たい風が吹いています。金庫の扉の前の一番上座にいる灰色の男が言っています。

「わたしの言う節約は、何を意味するか諸君はお分かりだろう。我々の少数だけが、生き延びれば、それで充分だ。ここにいる人数では、多すぎる。
諸君、端から番号を、かけてくれたまえ。ここに、コインがある。数字の面が偶数の者が残る。」議長はコインを、放りあげてから捕まえました。
「数字は、偶数番号が残る。奇数番号の者は、即刻、消えたまえ!」
声にならない呻きが、くじに負けた男の間に走りましたが彼らから葉巻をとりあげると、死を宣告された男たちは消えてなくなりました。
身の毛もよだつ同じ手続きが、四度までとられました。最後に残ったのは、六人です。灰色の男たちが減るたびに、怖ろしい寒さは和らいできました。
カシオペィアが足をバタバタさせたので甲羅を見ました。「ハナデ トビラニフレナサイ!」花びらもあまり残っていない時間の花を上衣の下に隠し会議用のテーブルの下に潜り込み開いた金庫の扉に花で触ると同時に手で押しました。本当に扉は音もなく動いて、ガチャンと錠がかみ合いました。

その轟は、広間から幾千もの地下道へと、いくえにもこだましながら響き渡りました。灰色の男は、驚きのあまり椅子に釘付けになり茫然とモモを見つめていました。
思わず、モモは彼らの脇をすり抜け広間の出口に走りよりました。地下道なら灰色の男の方が勝手を心得ています。
カシオペィアも、カシオペィアなりに大いに奮戦しました。

無論、足は、のろいですが、未来を予見してはその通りのことをやりとげました。こうして、モモは何度もカシオペィアに助けられ、カメはその度にけっとばされ、その勢いで、ふっとんで壁にぶつかることもしばしばでした。
この追跡の最中に灰色の男たちは時間の花を奪うことで夢中になって自分の葉巻を落としてまたひとり消えてゆきました。残る二人は相手の口から葉巻を叩き落とし、すると相手は妖怪じみた悲鳴をあげながら、みるみる透明になて消えてゆきました。最後の灰色の男は「いいんだ、これで、いいんだ、何もかも終わった。」そして、この男も消えてゆきました。
そこに、カシオペィアが這ってきました。「トビラヲ アケナサイ」甲羅に文字が光っています。モモは、扉に近づき最後の一枚の花びらを時間の花で扉をいっぱいに開けました。

モモは、驚き目を、見張って大きな貯蔵庫に足を踏み入れました。ガラスのように氷ついた無数の時間の花が果てしなく長い棚に並んでいます。ひとつとして同じものはありません。

何十万、何百万という人間の命の時間です。辺りは、だんだんと暖かくなって、温室のようになりました。モモの最後の花びらが散ったと思うと、俄かに嵐のようなものがまきおこりました。それは自由となった時間の嵐です。モモは夢の国にいる心地で辺りを見回しました。
すると、足もとのカシオペィアの甲羅には文字が煌めいています。「トンデ オカエリ モモ トンデオカエリ!」これが、モモがカシオペィアを見た最後でした。
花の嵐が、激しさを増してモモまで花になったように風にのって浮かび上がり大都会の方へと運ばれていったのです。

それは、素晴らしい音楽に乗った心弾む踊りのようでした。やがて、花の雲はゆっくりと空を降り、花々は雪のように舞い降りました。
まさしく、雪のように静かに溶けて消えました。本当の居場所にかえったのです。人間の心のなかに。
その瞬間に、時間は再び蘇えり、ありとあらゆるものが動き出しました。モモは、はっきり意識を取り戻したとき、さっきベッポを見つけた脇道です。
ベッポは、どうして、こうも突然に安堵と希望が、胸いっぱいに溢れてきたのか自分でも分からずに、不思議に思ったのです。
振り返ると小さなモモがいました。

どんな、言葉を使ったところで、この再会の喜びは表わせそうもありません。二人は喜びに酔いしれ、何度も抱き合い、泣いたかと思えば笑いました。
二人は腕を組んで町を歩き、円形劇場跡へ向かいました。

大都会では、長いこと見られなかった光景が繰り広げられていました。小さなモモとベッポじいさんが、この日、円形劇場跡に帰ってみると、友だちは、もう全部そこに集まってモモを待っていたのです。観光ガイドのジジ、太っちょのおかみさんのリリア-ナと赤ん坊を連れたニノ、左官屋のニコラ、それに昔いつもやってきて、モモに話を聞いてもらった近所の人たちです。

それからお祝がはじまりました。モモのともだちだけが祝い方を知っている、とてもとても楽しいお祝です。
それは、空に大昔の星の煌めくころまで続きました。
モモは、下の丸い空き地のまん中に立ちあの星の声と時間の花に思いを潜めました。
やがて、モモは澄み切った声で歌いはじめました。

一方(どこにもない家)では、に帰ってき時間に、はじめてで、一回きりの眠りから
起こしてもらったマイスタ-・ホラが、あの、素敵な椅子に座って何でも見えるメガネで、モモと、友だちのようすをニコニコしながら眺めていました。

足もとにカメがいました。「カシオペィア、おまえたち、二人ともよくやってくれたね。さあ、すっかり話ておくれ。」優しく言ってカメの首をなでました。
「マタアトデ!」甲羅が光りました。カシオペィアは、クシャンとひとつくしゃみをしました。
「灰色の男たちの冷気にあてられたんだね。疲れただろう。ゆっくりお休み!」「アリガトウ!」甲羅が光りました。
その甲羅にここまで読んできた人にしか見えない文字がゆっくり浮かび上がりました。

この作品は、原作を丸ごと書いてはいませんので、
多少、省いた部分もあります。
文章に、多少手を加えました。
最後まで、読んで下さりありがとうございました。
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