
【コラムニストになりたかった】
この本は、中野翠さんがコラムニストになりたかったかが分かる内容の本です。各、時事ごとに載せてありますので時代背景を振り返りながら読めます。
私は、この本を読み感じたことは中野翠さんは余り周りを気にせず自分のペ-スで物事を行う素直な人だと思いました。
《【コラムニストになりたかった】内容》
中野翠さんは「アンアン」に衝撃を受けルートヴイヒへの憧れオシャレと、雑化が大好きです。

喫茶店と森茉莉と落語を愛し流行りものに、関心を持たずにいられない人です。

「自分の場所」を探していつの間にかライタ-になった女の子が、雑誌に連載を幾つも持つまでになりました。
女性コラムニストの先駆け著者による、70年代から現在に至るまでのクロニクル。(年代記)
中野翠さんは、私が本当にやりたいことって、なんだろう!と、思案していました。
早稲田大学を卒業するも就職に失敗。父の勧める読売新聞社でのアルバイトを経て、主婦の友社でコピ-ライタ-に。
退職してヨールッパを放浪し、ついに気持ちは定まりました。フリ-ランスで、雑誌業界で働きたい—。

1974年中野翠さんの、師となる三宅菊子さんと出会います。


三宅菊子さんは、アンアンの創刊当初からのフリ-ランスの主力ライタ-で独特のアンアン文体を生み出しました。
中野翠さんは、女性のもっとも正統な生き方(恋愛・結婚・出産・家庭)には興味がなく自分自身についても書いていません。

【コラムニストになりたかった】で、とても印象に残っているのは、
1980年代、新時代の到来?日付けが1980年になった時の嬉しさは忘れられない。
もう、70年代は終わったのだ、80年代ということになったのだ。
ただそれだけで妙に嬉しかった。新鮮に感じた。
70年代というのは(あくまでも個人的な感覚でしかないけれど)何だか重く、薄暗く、生々しく…一言で言うなら鬱陶しい時代のように感じていたのだった。
連合赤軍事件の事件もあったしね。
だから1980と数字が変わっただけで、トンネルから抜け出て突然視界が明るく開けたような気分になった。
そんな感慨は初めてのことで、それ以後にもない。

音楽は断然、サザンオールスタ-ズ。
78年に(勝手にシンドバッド)がヒットし(いとしのエリ-)とたたみかけてきた。その曲調にしても歌詞の言葉遊びぶりにしても、フレッシュな
明朗さや軽快さがあった。テクノ・ポップもはやっていて、YMO(イエロ-・マジック・オーケストラ)が注目されていた。
中野翠さんの年代記のコラム【コラムニストになりたかった】は、面白く興味をかきたてられ、そして読んでいくうちに楽しくなります。
中野翠さんの言葉
自分の居場所は楽しく老後生活は心配し始めたらきりがない。

中野翠
1946(昭和21)年埼玉県浦和市(現在・さいたま市)生まれ
早稲田大学政治経済学部卒業。出版社勤務などを経て文筆業に。
(サンデ-毎日)での連載コラム、(週刊文春)での映画評など、雑誌連載を数多く手がける。
(小津ごのみ)(この世は落語)(歌舞伎のぐるりノート)などがある。
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