
《あらすじ》第二部—①
とてもとても不思議な、それでいて極めて日常的な一つの秘密があります。この秘密とは、それは時間です。
その時間にどんなことがあったかによって、僅か一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ほんの一瞬とも思えることもあるからです。
何故なら時間とは、生きるということ、そのものだからです。そして人の命は心を住みかとしているからです。
このことを誰よりもよく知っていたのは、灰色の男たちでした。彼らほど一時間の値打ち、一分の値打ち、いやたった一秒の値打ちさえ、よく知っているものはいませんでした。灰色の男たちは人間の時間に対してある計画を、くわだてていました。
一番気を付けていたことは、自分たちの行動を誰にも気づかせないようにすることでした。
彼らは、目立たないように、大都会の人々の暮らしの中に忍びこんでいました。そして、一歩一歩、誰にも気づかれづに、日ごとに深く食い込んで、人間の心に手を伸ばしていました。彼らは、自分たちのもくろみに、叶いそうな人間のことは、相手がそれと気のつくずっと前からすっかり調べあげていました。
そして、その人間のつかまえる潮時を待ち、その瞬間が訪れるように工夫します。

例えば、床屋のフージ-氏の場合ですが、その界わいでは評判のいい床屋です。ある日のこと、フージ-氏は店の入り口に立って、お客を待っていました。
「俺の人生は、ハサミとお喋りと石鹸の泡の人生だ。俺は一体生きていて何になった?死んでしまえば、まるで俺なんぞ、いなかったみたいに、人に忘れてしまうんだ。」
本当は、フージ-氏はお客を相手に長広舌をふるい、それについてのお客の意見を聞くのが好きだったのです。
はさみをチョキチョキやるのや、石鹸の泡だっていやではありません。仕事は、結構楽しかったし腕にも自信がありました。
取り分け顎の下の、ひげをそりあげるのは、誰にも負けないほど上手でした。
けれど、フージ-氏にも何もかもが、つまらなく思えるときがあります。そういうことは、誰にでもあるものです。
丁度そのとき、洒落た型の灰色の車が走って来て、フージ-氏の理髪店の前で止まりました。

灰色ずくめの紳士が降りてきて、店の中に入って来ました。そして鉛のような灰色の書類カバンを鏡の前のテーブルに置き、堅くって丸い帽子を洋服かけにかけ、鏡の前の椅子に腰を下してポケットからメモ帳を出し、小さな灰色の葉巻を、くゆらしながらメモ帳をめくりはじめました。
フ-ジ-氏は小さな店の中が急にとても、寒くなったような気がして、入口を閉めました。
灰色の紳士は、にこりともせず、ぞっとするほど抑揚のない灰色の声で言いました。
「私は、時間貯蓄銀行から来ました。外交員ナンバ-XYQ/384/bという者です。あなたは、私どもの銀行に口座を開きたいとお考えですね?」
フ-ジ-氏は面食らって「正直なところ、そういう銀行があるなんてことも、ぜんぜん知りませんでした。」
灰色の紳士は「時間は、どこから手にいれます?倹約するしかないんですよ。フージ-さんあなたは、全く無責任に自分の時間を無駄遣いしてます。お分かりいただけるようにちょっと計算してみましょう。一分は六十秒です。一時間は六十分。この計算についてこられますか。」
「ええ、分かります」フージ-氏は答えました。
灰色の紳士は鉛筆で鏡の上に数字を書きました。「六十かける六十で、つまり一時間三千六百秒です。一日は二十四時間。三千六百の二十四倍で一日は八万六千四百秒。
一年はご存知のように三百六十五日。そうしますと、一年は全部で三千百五十三万六千秒になります。十年ですと三億一千五百三十六万秒。
七十歳まとして計算しますと三億一千五百三十六万の七倍ですな。答えは、二十二億七百五十二万秒。」
灰色の紳士はこの数を鏡に大きく書きました。「これが、フージ-さんのお持ちの財産です。」
フ-ジ-氏は唾をのみ、こんな数字をみていると目まいがしそうです。

灰色の紳士は、フージ-氏のを年齢を四十二歳と聞き、一晩の睡眠時間、三度の食事の時間、年をとったお母さんとの会話の時間、娯楽、遊びの時間、足の悪い彼女に会いに行く時間、全て計算すると1324,512,000秒と鏡の上に書きました。
フ-ジ-氏は隅っこの椅子に腰を下ろして、ハンカチで額を拭きました。氷そうな寒さなのに、汗がでるのです。
灰色の紳士は、「私ども、つまり時間貯蓄銀行は、あなたの時間を預かって利子まで払うんです。どれくらい倹約するか、そしてその時間をどれくらい長く銀行に預けたままにするかです。」
フ-ジ-氏は目を丸くして喘ぎ、息をのんで灰色の紳士に聞きました。「預けたまま。それは、どういうことです?」
「私どもは、それと同じ額を利子として支払います。財産は五年ごとに二倍になるんです。十年たてばもとの四倍、十五年で八倍というふうにどんどん増えます。二十年前に、一日僅か二時間の倹約を、はじめていたら、六十二歳のときには、つまり全部で四十たってますからね、それまでに倹約した時間の二百五十六倍になるはずです。そうすると、二百六十九億一千七十二秒になります。」灰色の紳士は鏡に、この数字を加えました。
灰色の紳士は、かすかな笑いを浮かべ「考えても見て下さい。一日、二時間の節約で貯まるんですからね。いい話じゃありませんか。その気になれば、今日からだって始められるんですからね。」
「やりますとも!どうすればいいか教えて下さい。」フ-ジ-氏は叫びました。
灰色の紳士は「例えばですよ、仕事をさっさとやって、余計なことはすっかり、やめちまうんですよ。一人のお客に半時間もかけないで、十五分ですます。無駄なお喋りはやめる。年寄りのお母さんと過ごす時間は半分にする。一番いいのは、安くっていい養老医院に入れてしまうことですな。そうすれば、一日にまる一時間は節約出来る。役立たずのセキセイインコを飼うのなんか、おやめなさい!ダリア嬢の訪問もせめて二週間に一度にすればいい。寝る前に十五分も、その日のことを考えるのもやめる。取り分け、歌だの本だの、まして友だちづき合いだのに貴重な時間を使うのはいけませんね。ついでに、お勧めしておきますが、店の中に正確な大きい時計をかけるといいですよ。それで使用人の仕事ぶりを監督するんですな。」

「分かりました。おっしゃったこと全部やってみましょう。でも、使い残した時間はどうなるんです?」
「ご心配は無用です。あなたの倹約した時間は一秒の間違いなく、全部わたしどもの銀行に入ります。はじめてみれば、直ぐ、お分かりになります。」
フ-ジ-氏はわけの分からないまま「それなら、全部お任せしましょう。」
フ-ジ-氏は「ちょっと待って下さい。契約書は、ないんですか?署名はいらないんですか?何の書類も貰えないんですか?」
灰色の紳士は「時間貯蓄銀行は、それは、完全な信頼のうえに成り立っています。あなたの同意の言葉があれば、それで充分です。その言葉は取り消せません。
でも、どのくらい倹約するかは、あなたに任せます。強制なぞしません。では、ごきげんよう、フ-ジ-さん!」こう言うなり灰色の紳士は、洒落た灰色の車に乗り込んで走り去りました。
フ-ジ-氏は、その後を見送って額の汗を拭き酷く気分が悪くって吐き気がします。灰色の紳士の葉巻の青い煙が要約薄れ始めると、フ-ジ-の気分も治ってきました。
ところが煙が消えるにつれて鏡の数字も完全に見えなくなり、灰色の紳士の訪問の記憶も、すっかり消えていました。

今では、自分一人で決めたように思いました。今から時間を貯めておこうという決心は、抜けないかぎ針のように、確り心に食い込んでいました。
フ-ジ-氏は、だんだんと、怒りっぽく落ち着きのない人になっていきました。というのは、一つ、二つ、腑に落ちないことがあるからです。
倹約した時間は、実際、手元に少しも残りませんでした。フ-ジ-氏の一日一日は、はじめはそれと分からない程、けれどハツきりと、短くなってゆきました。
あっという間に一週間たち、ひと月たち、一年たち、時が飛び、去ってゆきます。何かに取り付かれて、盲目になってしまったようなものです。
フ-ジ-氏と同じことが、すでに大都会で大勢の人に起こっていました。毎日、毎日、ラジオもテレビも新聞も、時間のかからない新しい文明の利器の
よさを強調し誉めたたえました。こういう文明の利器こそ、人間が将来「本当の生活」が出来るための時間のゆとりを生んでくれる、というのです。
ビルの壁面にも、広告塔にも、ありとあらゆる、バラ色の未来を描いたポスタ-が貼り付けられました。
(時間節約こそ幸福への道!) あるいは、(時間節約してこそ未来がある!)あるいは、(きみの生活を豊かにするために時間を節約しよう!)
けれども、現実はこれとは、まるっきり違っていました。確かに時間貯蓄家たちは、あの円形劇場の後の近くに住む人たちより、いい服装をしていました。けれども、不機嫌な、くたびれた、怒りっぽい顏をして、トゲトゲシイ、目つきでした。一番堪え難く思うようになったのは、静けさでした。
自分たちの生活が、本当はどうなってしまったか、皆は、心のどこかで感じとっていました
ですから、静かになると不安で溜まらないのです。仕事が楽しいとか、仕事への愛情を持って働いているか、などということは問題ではなくなりました。
大事なことは、ただ一つ、出来るだけ短時間に、出来るだけ沢山の仕事をすることです。職場には、同じような標語が、かかげられました。
(時間は貴重だ ―無駄にするな!)(時は金なり―節約せよ!)これと似たような標語は、課長の事務机の上にも、重役の椅子の後ろの壁のも、お医者の診察室にも、商店やレストランやデパ-トにも、さらには学校や幼稚園にまで貼りだされました。
ついには、大都会そのものの外見まで変わってきました。

どの家も全部、同じに作ってしまう方が安上がりですし、時間も節約出来ます。大都会の北部には、広大な新住宅が出来上がりました。
同じ形の高層住宅が見渡す限りえんえんと連なっています。時間をケチケチすることで、本当は全部、何かをケチケチしているということには誰一人、気がついていないようでした。
でも、それをはっきり感じはじめていたのは、子どもたちでした。
ある日のこと、モモが「どうしてかな。あたしたちの古いお友だちが来なくなったような気がする。もう、ずっと会ってない人もいるわ。」
観光ガイドのジジと道路掃除夫ベッポが、廃墟の草むした石段にモモと並んで腰かけて、お日様の沈むのを眺めていました。
「そうなんだ、俺も同じだ。」ジジが考え込むようにして言いました。「おれの話を聞くやつも、以前みたいじゃなくなった。何かが起こったんだ。」
ペッポは、長いこと考えたすえに、「子どもたちは、わしたちのために、ここに来るんじゃない。ただ、隠れ場がほしいだけなんだ。」
三人とも、円形劇場のまん中のまるい草原に目をやりました。

そこでは、沢山の子どもたちが今日の午後に考えだしたばかりの新しいボール遊びをしていました。
モモの古くからの友だちもいます。ジジの言う通りで、ここへ来る子どもの数は増える一方です。本当ならモモは、このことを喜んでいいはずでした。

ところが、大都会のずっと遠くの地区からさえやって来ます。この他にも、まだ、モモによく分からないことがありました。
ごく最近はじまったばかりのことですが、とても高価な(おもちゃ)です。例えば、リモコンで走らせることの出来る戦車、でもそれ以上のことは出来ません。
あるいは、赤い目玉をチカチカ光らせて歩いたり、頭を回したりする小さなロッボット、これもそれだけのことです。
もちろん、古くからのともだちは、ひとつも、持っていませんでした。
こういう(おもちゃ)は、至れり尽くせりに完成されているため、子どもが、自分で空想を働かせる予知が全くないことです。子どもたちは、何時間も、じっと座ったきり、せわしなく動きまわるおもちゃの虜になって、それで退屈して眺めてばかりいます。
結局、昔ながらの遊びにまた舞い戻ることになります。二つ三つの木箱とか、土の山とか、ひとすくいの小石があれば充分で、後は、空想の力で補うことが出来るのです。
今日の夕方も、子どもたちは、遊びはどうやっても見ても、うまくいかないようで、諦めて、ジジとベッポとモモのまわりに集まって来てジジにお話しをせがみました。
これも、駄目でした。今日来た小さな男の子が、トランジスタ-・ラジオを持って来ていて音量を、いっぱいにかけていました。

「その、うるさいラジオ、もう、ちっと音をさげられないか?」と、フランコという名のだらしない恰好の男の子が噛みつくように言いました。
「とやかく言う権利なんか、君にはないよ。僕のラジオの音を大きくしようと、僕の勝手さ。」
ベッポじいさんが、「あの子に禁止することは出来ない。精々頼むことが出来るだけだよ。」
フランコは腰を下ろして、いまいましそうにしていましたが、ベッポは、小さな男の子を、小さなめがねごしにまじまじと親しみを込めて「何か、わけがあるんだ。きっとわけがある。」と答えました。はじめて男の子は黙りラジオの音を下げ、顏をそむけて、どこかを眺めています。モモは、黙ったまま男の子の、隣に座りました。
男の子は、ラジオのスイッチを切りました。しばらくは、あたりがしんと静まり返りました。すると、突然、男の子がしくしく泣きだしました。
他の子どもたちも、何人かは身につまされたように、その子を眺め、何人かは地面に目を落としました。本当は、皆、同じように泣きたい気持ちでした。
誰もが、自分が見放された子どもだと感じていたのです。

「もしかすると、僕は、もう来れなくなるかもしれない。」めがねをかけたパオロという男の子が言いました。
「どうして?」モモがびっくりして聞きました。「だって、だってパパやママが言うんだよ。ここの人たちは、ぐうたらで、怠け者だって。神様から時間を盗んでるんだ、だから暇がたっぷりあるんだって。君たちみたいな人が多すぎるから時間がなくなってしまうんだって。だから、もうここに遊びに来ちゃいけない、君たちみたいな人になっちゃう、って言われたんだ。」今度も、また、何人か頷きました。やはり同じようなことを、親に言われたのです。

すると、道路掃除夫ベッポじいさんは、小柄な体ながらも、すくっと立ち上がって、三本の指を高々突き出して、胸を張って言いました。
「わしは今だかって、ただの一度も、神様からだろうと、他の人間の仲間からだろうと、一秒の時間たりとも盗んだことはありはしない。神かけて誓っていい!」
「あたしも!」と、モモが言いました。「おれもだ!」と、ジジも真面目な顔で言いました。
子どもたちは、これに強い印象を受けたらしく、黙ってしまいました。この三人の友だちの言葉を、疑うものは一人もいませんでした。
その次の日から、モモは古い友だちを尋ね歩きはじめました。何が起こったのか、どうして、話に来てくれないのか聞きだそうと思ったからです。
はじめに、屋根裏の小さな部屋の、左官屋のニコラの所に行きました。

近所の人たちの話ですとニコラは新しい大きな住宅地で働いて、凄く金まわりがいいそうで滅多に帰ってこないし、帰って来てもたいてい夜遅く帰って来るそうです。
大分、夜遅く、ニコラがドタドタとよろける足音と、がなり立てるような歌声に、階段で眠っていたモモは、目を覚ましました。
ニコラは手を、落ち着きなく泳がせながら、モモと並んで階段に腰を下ろしました。ニコラは、急に悲しそうな顔になって言いました。
「真っ当な左官屋の良心に反するような仕事をやっているんだ。モルタルに、やたらと砂をいれるのさ、卑劣極まる工事さ!一番酷いのは俺たちが、立てている家だ。
死人用の穴ぐらだ!昔は俺は、人にみせられる程のものを、立てて誇りを持ったもんだ。だが、今じゃ・・、いつか、金が貯まったら、俺は自分の仕事におさらばだ。」

しばらくして、ニコラは、うな垂れて低い声で言いました。「本当に、また、おまえの所に行って何もかも洗いざらい話さなくちゃなんねぇ。まあ、何時なら都合がつくか考えなくっちゃならねぇ。でも、きっと行くからな。」
「いいわ。」モモは嬉しくなって答えました。ニコラは、幾ら待ってもあらわれませんでした。本当に、時間がないのかも知れません。
次に、居酒屋のニノと、その太チョのおかみさんの所に行きました。入口の前にぶどう棚のしみだらけの漆喰壁の小さな古い家は、町外れにありました。
モモは、以前のように裏の台所口に周りました。ニノは、大げさな身振りをしながら、おかみさんに何か反論しています。
隅の方では、赤ん坊が籠の中に座って、泣き叫んでいます。モモは、赤ちゃんを膝に抱き上げて、泣き止むまで優しくゆすってやりました。
ニノ夫婦は、口喧嘩をやめて、ニノは、とってつけたような笑いを浮かべ「何も食べなければ、おまえに構っている暇がないんだがな。」
モモは小さな声で、「どうして、こんな長いこと、あたしの所に来てくれなかったの?」
「俺にだって、分からねえよ!」ニノは声をあらげました。

おかみさんは、「たとえばね。どうやって、昔からの大事なお客さんを、追い出すか、モモ以前、いつも隅に座っていたじいさんのことを?この人ときたら、あのじいさんたちを、おんだしちまったんだ!おぱら、ちまったんだ!」ニノは、「家主が店の家賃をあげ、毎晩安い赤葡萄酒を一人一杯きりだなんて。俺は、一生ケチな居酒屋の主人なんかで終わるなんさ!俺は、この店を繁盛させたいんだ!俺たちの子どものためと、思ってのことなんだぞ。」
おかみさんは、「思いやりのない、やり方しかやれないなら、あたしはごめんだよ。あたしは、いつか出て行きますからね。後は、おまえさんのすきにするがいいさ。」こう言ってモモの膝で泣いている赤ん坊をひたくって、台所から出て行きました。
ニノは、しばらくしてから、口をひらきました。「俺だって、あのじいさんたちが好きだったんだ。でも、どう、すりゃいいんだ?」
「おまえが、来てくれてよかったよ。明後日、店が休みだ、そのとき行くから。」そして、本当にニノと太チョのおかみさん、赤ん坊も連れてやって来ました。

それに、籠一杯美味しい食べ物もお土産も持って来ました。おかみさんは、「ニノはね、ほかの年寄りの所を一人ずつ廻って謝ったんだよ。」
ニノは、頭をかきかき笑いながら「皆、また来てくるようになったよ。店の繁盛は望めないだろうけれどね。俺の気に入った店にまたなったよ。」
ニノが笑い声を、あげると、おかみさんは、「大丈夫、ちゃんと、やっていけるよ、ニノ」とても、素敵な午後でした。
また、近いうちに来るからねと約束していきました。
こうして、モモは古い友だちを次々と尋ねました。その暇がなかった人もいますが、本当にやって来た古い友だちも大勢いました。そして、依然と変わらない付き合いが復活しました。そのせいで、モモは自分ではそうとは知らずに、灰色の男たちの邪魔をすることになったのです。それは、彼らにとって許しがたいおこないでした。

それから、しばらくして、特別暑苦しい昼下がりのことでした。廃墟の石段に、モモの背丈くらいのお人形をひとつ見つけました。

ほんものの人間と見間違えるくらい自然のままに出来ていました。ショ-ウィンド—のマネキンといった格好です。スカ-ト丈が短い赤い服を着てハイヒ-ルを履いています。
モモは、吸い付けられるように人形を眺めました。人形は、瞼を何回かパチパチとさせ、口を動かしてまるで電話口から、聞こえてくるようなキーキ-した声でものを言います。
モモは、同じことの繰り返しでしゃべる人形に、生まれてはじめて、退屈だと分かるのに時間がかかりました。
いつの間にか洒落た灰色の車が泊まっていました。車の中には、クモの糸のような色の服を着て、灰色の堅い帽子を被った灰色紳士がいて、小さな葉巻を吸っています。
顏色まで灰そのものの色でした。紳士はドアを開けて外に出ると、モモに近づいて来ました。手には鉛色の書類鞄を持っています。

照りつける太陽に空気まで燃えているようなのに、急にモモは寒気がしました。
「君の持っている人形はすごいね。」灰色の紳士は、奇妙に抑揚のない声で話かけました。
「ところが、君はうれしそうでもないね。」と、薄笑いを浮かべて言いました。
モモは、かすかに頷きました。
灰色の紳士は車のトランクを開け、ドレス・アクセサリ-・遊びの服・パジャマ若い男の人形まで、ありとあやゆる品物をモモの方に投げてよこしました。
灰色の紳士は「この素敵な品物が全部貰えるとなれば、一人で充分楽しめるじゃないか。この素晴らしい人形がぜひとも欲しいんだろう?」
モモはぼんやりとしながらも、自分が何かの闘いに直面している、いや、すでに闘いの中に巻き込まれていると感じました。灰色の紳士の話すことを聞いていればいるほど、話す声は聞こえるし言葉は聞こえるのですが、話す人の心は聞こえてこないのです。この男はどういうわけか、人を不安にさせます。とくに目から伝わってくる冷ややかさがいけません。モモはこの男が、可哀そうに思えました。「でも、あたしの友だちなら、あたしは好きよ。」
灰色の紳士は、まるで、急に歯でも痛みだしたように顏をゆがめました。けれども、直ぐまた自分を押さえてかみそりの刃のような薄笑いをしました。
灰色の紳士は、また話だしました。「君は、さっき、友だちが好きだと言ったね。君がいることで君の友だちは利益を得ているかだ。何かの役にたつか?金儲け、偉くなることを助けているか?時間を節約しようと、努力を励ましているか?皆の前進をはばんでいる。君がいるってことだけで、君は友だちに害悪をながしているんだよ。それなのに、君はやっぱり、誰かが好きだなんて言うのかね?」
モモは、こんなふうに考えたことはないし、一瞬自信がなくなって、この灰色の紳士は正しいのではないかと、さえ思いました。

「だから、こそわれわれは、君の友だちを君から守ろうとしているんだ。われわれこそ、皆の友だちだ。皆の、邪魔をするのを、見ているわけにはいかない。だから、この素敵なおもちゃを全部、君プレゼントするわけだ。」
「(われわれ)ってだれのこと?」ももは震える唇で聞きました。
「時間貯蓄銀行の仲間のことだ。私そこの外交員、ナンバ-BLW/553/Cだよ。私は、個人的によかれとばかり考えているんだ。時間貯蓄銀行をばかになんぞしたら、ただで、すまないからね。」
モモは、怖がっちゃいけないと自分に言い聞かせ、ありったけの力と勇気を振り起して、灰色の紳士の心が潜んでいる手ごたえのない暗闇の中に、まっしぐら入ってゆきました。
「無駄な骨折りはやめたほうがいいよ。われわれに立ち向かうなんて、出来るわけがないからね。」モモは諦めませんでした。
「それじゃあ、あんたのことが好きな人は、ひとりもいないの?」ささやき声で聞きました。
灰色の紳士は、背中を丸めて、急にがっくりうな垂れました。灰色の声で
「君みたいな人間にお目にかかったことがないな、君みたいな人間が沢山いたら、われわれ時間貯蓄銀行は潰れちゃって、われわれ自身も消えてしまう。生きてる、てだてがないからな。」外交員はモモをまじまじとみつめました。そのようすは、話すまいとしても、ついに男の本当の声が聞こえて来ました。
「われわれがいることも、誰にも知られてはいけない。われわれは、どんな人間にも記憶に残らないように気をつけている。人間から一時間一分一秒とむしりとるんだからな。人間が節約した時間は、人間の手には残らない。われわれが奪ってしまう。貯めて置いて、こっちのために使うのだ。われわれは時間に飢えている。・・・・」
最後の言葉は、断末魔の呻きのような、喉から絞り出すと、灰色の紳士は両手でわれと、わが口を必死にふさぎました。目はかっと見ひらかれ、モモを見すえています。
「どうしたんだ?おまえは、私を狂わせたんだ、今、喋ったことは忘れてくれ!」男はモモを揺さぶりましたが、モモは声がでません。
すると、灰色の紳士は飛び上がって慌てて鉛色の書類鞄をつかむと車に走り寄りました。
人形と辺りに散らばつていた小物が全部、サッと空に舞い上がったと思うとトランクに吸い込まれました。

モモは、今、聞いたばかりの話が、なんのことか考えました。だんだんと、怖ろしい寒さはひいてゆき、それと一諸に全てがはっり分かって来ました。
それというのも、モモは灰色の紳士の本当の声を聞いたからです。
《わたしの 感想》
モモを、取り巻く世界。
(灰色の男たち)という奇妙な病菌に侵されはじめています。人々は「よい暮らし」のためと信じて必死で時間を倹約し、追いたてられるように、せかせかと生きています。
子どもたちまで遊び場を奪われます。
次回第二部-②宜しくおねがいいたします。
コメント