
百人一首 紫式部 (むらさきしきぶ)

めぐりあひ(い)て 見(み)しやそれとも わかぬ間(ま)に
雲隠(くもがく)れにし 夜半(よは)の月かな
(わ)
久しぶりにめぐりあったのに、あなたはあわただしく
帰ってしまいました。
それはまるで雲に隠れた、夜半の月のようだわ。

(めぐりあひ(い)て)といっても
恋人にめぐりあったのではないです。
幼馴染に、久しぶりに再会したときの
心境をうたったものです。
幼馴染は、親戚の同じ年ごろの子か、
習い事(琴や歌の勉強)で知り合った子だろうと
思われます。

紫式部は、平安時代中期に活躍した歌人であり作家です。
「源氏物語」(げんじものがたり)は、
世界最古の代表的な長編物語。
光源氏(ひかるげんじ)という美男子を、主人公にした
当時の貴族の華やかな生活をえがき、
最後の部分では、その子・薫(かおる)の恋をえがいてます。
現在でも、小説や劇、映画にもなっています。
2000年に発行された二千円札には、紫式部の図柄と
源氏物語絵巻の一部が採用されています。

紫式部は、世界的にも評価されている【源氏物語】小説の作者。
平安時代中期の作家・歌人・女房(女官)。
作家としては、日本文学史を代表する一人。
正確な誕生は特定できないが、(973?~1014?)
天禄元年(970年)から天元元(978年)の間に生まれ、
寛仁3年(1019年)までは存命したとされます。

藤原道長の要請で宮中に上がった際に
宮中の様子を書いた『紫式部日記』も残しています。


【源氏物語】と【紫式部日記】の2作です。
○私は、百人一首【和泉式部】(いずみしきぶ)も大好きです。

あらざらむ(ん) この世のほかの 思ひ(い)出に
今ひとたびの 逢(お)ふ(う)こともがな

わたしは、まもなく死んでしまいます。
あの世に行ってからの思い出に、
もう一度、愛するあなたに会いたい。
和泉式部が、重い病気にかかり、死を覚悟したときに
男性におくった歌。
「あらざらむ(ん)」は(自分は生きていないだろう」、
「この世のほか」は(あの世)のことを意味しています。
和泉式部は非常に情熱的な女性だったといわれています。
たくさんの恋をした女性で、恋がもとで離婚されているほどです。

なかでも、『和泉式部日記』には
敦道親王(あつみちしんのう)の間の情熱的な恋のことが、
くわしく書きしるされています。
和泉式部(生没年未詳)
※平安時代(平安美人のおしゃれ)

百人一首のよまれた時代
女性たちの流行は、ロングヘア-。
髪が長いことが美人の条件だといわれ、
みんなが、こぞって髪をのばしました。
長くのばした髪の手入れは大変で、
米のとぎ汁でシャンプ-したり、
食物性の油であらった髪の手入れをしたという記録がのこっています。
自分の身長くらい髪をのばしたというから、寝るときも大変。
枕(まくら)もとに広く浅い木箱を、
おいて髪をそのなかに入れて寝ていたといいます。
また髪の薄い女性のためには、かつらまで、あったというから、
いかに髪が大切だったかがしのばれます。

※平安美人
〇ふっくらした顏
〇細くて切れ長の目
〇小さな口
※平安美人のおしゃれ
髪型はまんなかわけでロングヘア-、
肌を白くみせるため(おしろい)を厚く塗り、
口紅をさしました。
毛抜きでまゆげを抜き、太くかくのが流行しました。

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